〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/05/19 (月) つめ む (三)

といって。
平家方にも、さまざまな違和いわ が包蔵されているように、源氏の内部もまた、決して義経の下に、整然と一本になっていたのではない。
そう考えられる第一の不審は。
義経と並び、ともに東国勢の一方の大将軍といわれる三河守範頼 (蒲冠者かばのかじゃ ) が、まったく、動きを見せないことである。
豊後に渡って、九州の一角にあることだけは、確実らしい。
九州に一戦を引いて、彦島の平家を、牽制けんせい しているものと見れば見えないこともないが、それもあまりに消極的だ。── なぜ、文字ヶ関、柳ヶ浦など、豊後の海辺まで、その旗幟きし を見せて来ないのか。
義経は、三河どのの真意が、どこにあるのかを、疑っている。
「── よし船はなくても、豊前の岸に、その白旗を見せ給うだけでも味方にとっては大きな助力。敵にとっては、心を寒うさせるものを」
と、遺憾でならない。
しかし、梶原だけは、多少その消息を知っているはずだった。彼の許へは一、二度、範頼から使いもあった。だが、義経には何も語らず、義経もそれには触れないのであった。いったい、九州にいるのかいないのか、まったく、奇妙な友軍というほかはない。
疑えば安からぬ心地して、
「── この義経が平家の勝つのを、喜ばぬ者が、味方の内にあるのか」
と、思わされるおりさえある。
が、義経は 「浅ましい心の動き」 と、むしろ自分に恥じ 「そのようなこと、あり得ようはずはない」 と、かたく思い直すのだった。
彼は敵以上、味方の “割れ” を恐れた。功名争いや意地ずくの、我勝ち態勢で明日へのぞんだら、神器の奪取はおろか、勝利もどうかと、危ぶまれるからである。それには、梶原を立てておくことだと知っていた。── で、その夜の最終会議も、梶原にとっては、充分、得心とくしん のできる結論のもとに終わっていたろうことは、ほぼ疑う余地もあるまい。
やがて、梶原父子をはじめ、諸将の影は、船房から外へ出て来た。そして口々に、
「さらば。明朝」
「晴れの海原うなばら にて」
── さらば、さらば、と言い交わしながら、おのおのの船へ帰って行った。
こく 前の出陣なら、これから各自の船へ戻ってからも、優に手枕の一睡は出来る。
義経もまた、その後で、小狭い一房にはいって身を横たえた。ただのひとりに返って、四肢しし にノビを与えると、なんとなく 「・・・・ああ」 と肋骨の下から大きな息が思わぬ声になって出た。
「ああ」 という一呼吸の中には、つかの間、体の緊縛からほぐ れ出た彼の万感が流露していた。 「功名何ものぞや」 という自嘲じちょう のあふれか。 「── しずか 、恋し」 とつぶやいたものなのか。彼以外には、知るよしもない。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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