〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/05/18 (日) つめ む (二)

たれもが、心では望んでいるのだ。口に出せないだけである。
にもかかわらず、梶原がたって 「── 自分に」 と申し出た人もなげな気持は、これまた、たれにも分からないことはない。
屋島では、屋島も陥ちてから二日も過ぎて、遅れて戦場へ着いた彼だった。
彼自身は、そんなことを、間が悪そうに、いつまでもわずら っている男ではない。けれど嫡子の源太景李、次男の平次景高、三男の三郎景家などは、以後、肩身の狭い思いを持っていたことだろう。 「── 先の汚名を、長門の浦でそそがねば」 と、父の背後で、躍起やっき となっていたかもしれない。
古記によると、この時、梶原の乞いを、義経は、一言のもとに、しりぞけたとある。
「義経がなくば知らぬこと、義経があるからには」
と、言ったのに対し、梶原が、
「殿は、大将軍、大将軍たる人は、中軍にあるべきもの」
と、きめつけた。
「それ、思いもよらず ──」 と、義経はせき込んで 「われはただの一御家人、鎌倉どのこそ、大将軍とは申すなれ、義経も和殿輩わどのばら もおなじ者よ」
と、あくまで、先陣の役を、ゆず ろうとしない
ごう やした梶原は、
「天性、この殿は、侍のしゅ とはなり難し」
と、放言した。聞きとがめて、義経もまた、
「申せしな梶原、和殿こそ、日本一の烏滸おこ の者 (ばか者) かな」
と、ののしり返した。
そして、義経が太刀へ手をかけると、梶原も一そう激して、
「こは、なんとなさる。この梶原は、鎌倉どのの他に、主は持たぬぞ」
と、同様に、陣刀の柄をにぎりしめる。
一座騒然。── 梶原の方には、彼の子息や家臣が楯となって寄り合い、義経の身には、弁慶、忠信、伊勢三郎などがこぞり立って、あわや味方割れを見ようとした。しかし三浦ノ介義澄や土肥実平が、極力、相互をなだめたので、からくも事なきを得、やっとその場はおさまったというのである。── 古典平家もまたそういう風に書いている。
両者の不和は隠れもないことだが、といって以上のような喧嘩沙汰までがあったとは思われない。思うに、梶原の三人の子息や将士が、屋島の名折れを、明日こそは取り返そうと、気負っていたので、自然、梶原自身までが軍監の地位を忘れて、積極的に、先陣の役を望んで出た程度かと考えられる。
そして、おそらくそれは、義経に れられたのではあるまいか。なぜなら、味方割れまでして彼の望みをこば む理由は何もないからである。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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