〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/05/18 (日) つめ む (一)

妙に赤っぽい光と異臭とは、灯皿ひざらさ の魚油のせいであろう。その一燈一燈から、烏賊いか ずみ のようなすす もさかんにいぶり立っている。
広くもない船房の内だ。たちこめる魚油が諸将の陰影をよけいに濃くし、たれがたれともさだかでない。ただ、正面の義経の顔、梶原の顔、左右へ詰めあっている横顔やら物いう顔など、顔ばかり赤々と浮いて見え、満座の鎧具足よろいぐそく がチカチカ微光を放ちあった。
「── 思えば、返す返す惜しい日を逸したものだ。今日こそは、敵の屋島へ迫るべき日であったものを」
梶原が、口をあいて、こういいぬく。
さっきから、彼が繰り返して、残念がっているところは、
「今夕、くが の味方が、赤間ヶ関へ攻め入り、すでに彦島の喉口のどぐち へ迫ろうとまでしたのに、なぜ陸勢くがぜい をひきあげ、わざわざ、敵に備えの暇を与えたのか」
と、いうことらしい。そして、
「もし、あのさい、水軍も進み出て、くが の味方と力をあわせ、同時に、彦島を いていたら、おそらく平家は一挙に覆滅し得たろうに、可惜あたら 、今日をむなしくせしことよ」
と、舌を鳴らしてやまないのである。
いいかえれば、義経の指揮判断の誤りを き、軍監として、その責めを問うものであるだろうか。
義経はと見れば、悔いる風もない。一応、耳は傾けていたが、反撥もせず、ただ 「聞きおく」 という態度に見える。
しかし、副将の田代冠者以下、諸将たちは、おおむね、梶原と同意見らしく、
「いつに似合わぬこの君の二の足かな?」
といいたげな、いぶかりを、義経のおもて へ、そそぎあっていた。
一ノ谷、屋島、また宇治川。義経の戦の手口は、いつも疾風迅雷しっぷうじんらいである。敵を直前に、こう二や夜もためらっていたためし はない。
梶原に次いで、やがて諸将の間からも、同様な声が出た。
義経からも何か釈明がなければすむまい。で、彼もついに、一言した。
「それよ。院の御命ぎょめい として、三種の神器を無事に都へかえ せ、との仰せ付けだになくば、合戦の仕方はいとやすいことだ。したが、平家方もこのたびは、充分、はら を決めていよう。今はこれまでと見、一門最期さいごふち にのぞむさいには、必定、神器もろとも、身を沈めんと、覚悟しおうておるに相違ない。── その平家から、神器をつつがなく り上げ、敵を完膚かんぷ なきまで討ち滅ぼすということは、思えば思うほど、むずかしい」
義経は、また、梶原へ眸を向けて。
「・・・・さるがゆえに、陸勢くがぜい にも、珠を目がけて、珠を踏み砕くな、魚の網をしぼつが如くせよと、命じたわけだが、もし其許そこもと に、べつに良策でもあったら、この場で聞かせよ。いかにせば、神器を無事に奪って、しかも彼を滅ぼすことが出来るか。其許の知略のほどももらしてほしい」
それには、梶原も黙ってしまった。
もちろん諸将のあいだにも 「── 院の特別なるお旨」 は充分知れ渡っていたはずである。が、とかく戦場の第一義は、生死と功名とだけに限られやすい。いわれてみれば ── と今さらのように、明日の合戦のむずかしさを皆、思い直した風だった。
すでに、この夜、
「── 平家方は、はや、田野浦たのうら まで、第一陣を進めて来た。その敵へ接して、水軍と水軍との、矢交やま ぜが開かれるのは、明朝のこく (午前六時) 前後ぞ」
帷幕いばく のしめし合わせもついていたのである。
これは、その日、義経自身が、船所五郎ふなしょのごろう正利まさとし や、串崎の武者を水先案内みずさき として、水路や潮流の時刻などを、つぶさに調べた上での決定であり、異論の出ようはずもない。
しかし、海上戦を、陸の先陣争いと同一に考えている諸将には、たれが、先鋒せんぽう をうけたまわるのか。それへの関心が強かった。当然、功名手柄の晴れ場とみな競っているからである。
梶原すらも、その下心があるらしく、こう強く主張し出した。
「過ぎたるは、もういうまい。また、神器の奪還も敵へ当ってからのことよ。破りもせぬ敵から神器を取るわけにはゆかぬ。そこはこの梶原も、思うところもあれば、あすの先鋒は、ぜひ梶原に仰せ付けありたい。先陣の役は、この景時に び候え」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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