時忠は、一亭の内にすわって、身の位置を取り得たと思うと、何かは知らず、後ろめいた孤独感と寂寥
にくるまれた。こうして、一門の決戦を戦の外で、傍観しているということの辛さだった。同族とともに死所につくよりも、ここの位置は、苛烈かれつ
な未来の煉獄れんごく を約し、また、死に勝まさ
る意義を持つのだとは、自身へ言ってみるものの、世間の嘲罵ちょうば
だの冷たい眼が、もうそくそくと身のまわりに感じられて来る。 「ああ、、あだ覚悟が足りない。そんなことで、どうしてこの先 ──」 時忠は、自分を、人間同士の闘争の上におこうとした。同族とその敵との戦争に、冷血であろうとした。帰結は彼に分かっていた。死ぬ者は死ぬであろう。これ以上、術すべ
なき心を煩わずら うまい。期する目的に揺るぐまいと、思った。 「お、そこにいたのか」 ふと彼は、片隅にいる芦屋に気づいた。悄然しょうぜん
と、彼女はただすわってい、そしておりおり、死んだ老父を思うのか、袂で顔をふいていた。 「さても、あわれ」 と見たが、また、 「・・・・うらやましくもある身かな」 とも、時忠には、ながめられる。 「芦屋。・・・・淋しいか。長い戦ではない。やがて、下の町屋根へも、じきに平和な陽がさすであろう。それまでの辛抱ぞ」 「・・・・はい」 「合戦がすまば、そなたの老父の死も、ねんごろに弔うて進しん
ぜよう。そなたが身の落ち着きも、考えてつかわそう。案じぬがよい。さは泣くな。若い身そらお、泣き窶やつ
れさすまい」 言いつつ、時忠は、そこに繞めぐ
らしてある小縁の低い欄干らんかん
へ、身をもたせかけた。 すると、欄も朽ちていたにちがいない。体の重みで、もろく、欄の一端がぐらと動いた。 「あっ、あぶない」 時忠も思わず言い、慰められていた芦屋も、われを忘れて、小さい声をたてた。 腐った木片が、小縁の下へ、音をさせて落ちて行った。亭は、崖がけ
に臨んでい、崖の下にも、一亭の茅かや
屋根やね が見えた。 おそらく、そのことがなかったら、どっちも気づかずに終わっていたかも知れない。 ──
ふと、下の屋根の内でも、破れ戸を開けるような音がしていた。 同時に、薄い灯影が、そこから外へ映さ
した。あきらかに、たれか人間がいた証拠といえよう。── 時忠は、ぎょっとして、少し身を後ろへ退ひ
いた。こちらには、灯影はない。 「なんだ? 今の物音は」 と、下で言っている のぶとい声柄だ。 すると、それとは別な声が、どこかで、 「また、むささびの悪戯か、山猫やまねこ
かなんぞであろう。はやくそこは閉めたがいいぞ。こんな晩だ、微かな灯でも、遠目に知れる」 「いや、遠目の心配よりも、どこか近くで、女の声がしたような気がするのだが」 「はははは、おぬし女に飢えているので、物もの
の怪け の啼な
き声まで、それと耳に聞こえるのじゃないか」 「ばかな。・・・・」 と、いちど、のぶとい声はやんで、しんとしていたが、 「蟹丸かにまる
、蟹丸」 と、召使の童わらべ
でも呼んでいるらしく、ほどなくまた、上の時忠の方へまで、こんな声が聞こえていた。 「蟹丸、見て参れ。この上の亭の辺りで人の気配がするのだ。どうも気になる。そっと、見とどけて参れ」 「はい」 蟹丸というのは、たしか朱鼻あけはな
の伴卜ばんぼく の侍童であった。
「はい」 と言ったのが、その蟹丸とすれば、一方の声は、彼のあるじの伴卜とするほかはない。 平家が屋島を去って後、伴卜は小荷駄こにだ
に持ち物を積ませ、陸路を丸亀へくだり、丸亀から船便で周防から長門へ渡ったはずである。 蟹丸を加え、その時の同行は三人だった。もう一人はいうまでもなく、奥州の吉次。 ──
今、崖下でした話し声の一人が、それかもわからない。まろみのない奥州言葉には特徴があり、調子もどこか吉次に似ていた。 いずれにせよ、蟹丸と呼ばれた侍童は、あるじの命に従って、こっそり時忠の一亭をうかがい見、やがて見た通りを復命していたものであろう。 けれど、時忠の方は、それなり無関心だった。そんな輩やから
が自分を気にしていたとは思いもしない風であった。 時忠には、今や一切が些事さじ
に見えた。 ただ、今夜から明日へと循環して行く宇宙の眼に見えぬ “時の歯車” だけが、彼の胸を刻々にきざんでいた。── 先に別れた一子時実「の吉左右もいかにと、待ちわびられて、ただ祈るが如き面おも
もちで星を見ていた。見えぬ海の遠くをひたすら凝視していた。 |