〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/05/17 (土)  いち ようふね (一)

「お。・・・・ここだな、臨海館とは」
時忠は、再び、立ち止まった。
異国の客をもてなす迎賓の公館は、北陸にもあり、都にもある。有名な鴻爐館こうろかん など、それであった。
ここの臨海館も、かつての日には、宋朝そうちょう の使節や高麗こうらい の客が、みつ ぎのことや、貿易上の商談などで来朝するごとには、さぞ賑わったことだろうと思われる。
が、いま立ってみれば、ほとんど荒廃しきっている。もちろん、たれ住む人とてないらしい。
「いざ、こなたへ」
兵のかしら は先に立って行く。
「人はおるのか」
「おりませぬ。もしおれば、浮浪の徒か、戦を避けている女子どもか、いやそれも、こんな不気味な古館にはおりますまい」
「広いのう。むね ごとのひさし もみな朽ちてはおるが」
狐狸こり の住家とは、かくの如き物を言うのかも知れませぬ」
「はははは。仮のねぐらをここに求めて来たものも、人間の狐狸こりたぐい と見られような。能登やspan>内大臣おおい殿との にいわせれば・・・・」
返辞に困ったものとみえ、兵の頭は、それなり黙って、なお奥まった所へ、踏み進んで行った。
見晴らしのよい ── といっても視界は一望暗黒の壁だが ── 一室を見とどけて来て、兵の頭は、
「当座、ここにおわせられませ。ここは、がけ の大樹の陰ではあり、どこからも、ちょっと気づかれぬ一間でもございまする」
「ここか」
と、時忠はすわってみて、
「いや、島の牢舎にくらぶれば、荒れてはおれど、金殿玉楼といってよい。わけていながら小瀬戸、大瀬戸。東には早鞆はやとも ノ瀬戸まで、一望にできる」
「では、兵五名を外に残しおき、あとのやから は浜辺に出て、何かのへん あるごとに、使いを走らせますゆえ、さようお心得おきを」
「大儀だった。手枕でひと休み、寝ておきたい。海上に変が見えたら、ただちに告げてくれよ」
「心得ました」
「それに、時実と、すけ の行った先だが」
「は」
「彼らの吉左右も、案じられる。首尾よく、早鞆ノ瀬戸を越え出たかどうか」
「その儀なれば、磯づたいに、壇ノ浦まで、物見を放てば、すぐ知れましょう。追っつけ、そのことも、これへお伝え申し上げましょう」
兵の頭は、部下五人ほどを、附近の林の中に残し、元の道を、駆け下って行った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next