時忠は愚を覚った。この期
になって、なんの思案の余地があろう、と。 「介すけ
」 「はっ」 「して、源氏方の水軍が進み出るは、いつと見たぞ。明日の夜明けか」 「お察しの通りかと思われまする。潮の満干みちひ
の時刻、潮向きの順逆など、平家方の計るところは、また、源氏方も深く按あん
じるところ。それらの駆け引きいかんにもよりましょうが」 「なおもって、猶予はならぬ。介すけ
、その舟で、わしを源氏のおる串崎の陣まで送れ。親しく、判官どのと会って、直々じきじき
、男同士の誓言かため をしたい」 「や、もってのほかな」
と、桜間ノ介は、時忠の思い立ちを、余りにも冒険なと、言って 「── 早鞆ノ瀬戸をさかいに、平家方の小早舟こばや
など、網の目の備えを固めおりまする。万が一にも、捕えられたら、お望事すべて、水泡すいほう
に帰しましょう。この介すけ ですら、すでに判官どのへ近づくことは、容易ではありませぬに」 「それも成らぬか・・・・」 憮然ぶぜん
として、時忠はつぶやいた。 義経を疑うのではないが、言葉と言葉との、それも人を介しての私的な約束だけでは、どうしても一抹いちまつ
の不安を禁じ得ない。 「父上、わたくしが参りましょうず。串崎へ参って、判官どのより、かたいお誓いを取ること、この時実にお命じ給わりませ」 「うム、時実か。・・・・よう申した。そちなれば、あるいはよからんあ。介、どうだの」 「さあて、御子息なりとて、途中の難に、変わりはございませぬが」 「いなとよ、介どの。もし見つかって捕われても、時実なれば、いい遁のが
れようすべもある。また、いよいよの切羽せっぱ
とならば、海へ身を投げ捨て、自害しても惜しゅうはない。父上、わたくしが参りましょう。── 介どの、わしを連れて行ってくれ」 桜間ノ介は、思案顔だったが、やがて決然と、 「心得ました。おん供いたしましょうず」 そして彼は、縁先へ立って出て、どこかに待たせておいたらしいほかの者をさし招いた。 彼と同じく、みな半首はつぶり
を被つ けた小具足の兵だった。数は十人がらみ、二領の大鎧おおよろい
を、縁の上において、すぐ、下にひざまずいた。 |