相見ても。灯はともされても。しばらくはただ。黙
し合お うているだけであった。 ここ数日のことは、お互い、かんたんな言語では、あらわし得ないのであろう。──
なんたる刻々の変化、けわしい様相。そして、さしせまった今夜という緊迫感やら、様々な思いが、まず、相互の胸を、驟雨しゅうう
のごとく打ちたたいている。 が、無言はまた、百言を語るものであった。時忠は、待つものだけを、ただちに訊たず
ねた。 「介すけ 。判官ほうがん
どのに、会うてくれたか」 「は。室津むろつ
のお宿にて」 「そのおりのことばは、先に聞いた。その後は」 「昨夜、串崎の御陣へ忍んで、ようやく、お目にかかりました。── 前さきの
大理だいり (時忠)
どのが御意中、義経が胸に、委細たたみおいた。と重ねて仰せでした」 「・・・・とのみでは、心もとない。先にも申し送ったように、なんとか、御誓書を請こ
えぬものか」 「その儀、切にお願い申しましたが、判官どのの仰せには ── あわれ、察せよ、義経は大将軍たれど、鎌倉どのの一代官に過ぎず、べつに一方の大将軍三河どの
(範頼) もおられ、同陣には軍監の梶原もおること。他に諮はか
らず、義経一存にて、誓書を敵のひとりへ渡したりなどと沙汰されれば、後日かえって、紛々ふんぷん
の誹謗ひぼう となり、時忠どのが望むところと、逆なことになろうとも知れず、と」 「では、どうしても、誓書はだめか」 「しいて、お迫り申すと、判官どのには、おくるしげな面おも
もちを見せられ、ただ、ままならずとのみ・・・・」 「あの君の、お立場は分かる。とは申せ、ひとたび、国もなく拠よ
る陣もなき敗亡の生存者となり終わらば、もう何を申し、何を願う資格もない。残るは、生きながら嘲わら
われ者にされる敗者の空骸なきがら
があるだけだ。── どうしても、神文のお誓いをいただいておかぬことには。・・・・介よ、なんとか、ならぬか」 今は、意気地なく見えるほど、眼のふちの小皺こじわ
から、時忠は涙をこぼしそうにした。 しかし、彼の妄執もうしゅう
は、彼に荘厳なは光燿こうよう
であった。── 伊勢平氏の発祥から今日の末路までを、生涯に見とおしてきて、今や六十路むそじ
に近かろうとする彼が、その理性から到達したただ一筋の信念なのだ。 彼の願うところは、初めから和議にあった。 けれど、和議をはかる機会は、むなしく逸してしまった。時すでに遅しである。 それにしても、最後の最小限の希望として、彼はなお、一縷いちる
の願望を捨てていない。 幼帝と女院の、御救出。 また、あまたな女たち、童わらべ
たち、科とが なき人びとの助命を
── その救出を、なんとか、計ってやりたいということ。 それであった。 さらに、あわよくば、平家の血脈とその家を、どんな形の下にでも、細々にでも、遺し伝えたいという望みもあった。もし、それもかなえば、故入道その
(清盛) から、この世でさんざん世話になった恩顧に対して、一片の報恩になるのではあるまいか。 ── 桜間ノ介を介かい
し、彼は、率直そっちょく にそれらの思いを、密書に託して、敵の大将軍義経へ、通じたのだ。 義経は、返書を、桜間ノ介へ渡した。 「諾」
とあった。 くわしくはないが、一諾、こころよく、幼帝女院のおん身の保証はもちろん、平家のあとあとについても、力を添えようとは言ってくれた。 もとより無条件ではない。 義経の側はわ
からも、時忠へ対し、協力の分担を課してきた。合戦の当日、内から起こって離反をあきらかにするとともに、賢所かしこどころ
(三種の神器) が無事安泰に源氏側へ移るように手を打つことを求めている。 「諾」 と 「応」 との両者の間は、介すけ
を通して、異存なく結ばれた。── が、ただ一つ今夜にまで持ち越された未解決の一事がある。── 後日のため、公おおやけ
なる誓書が欲しい、とする望みに対し、先方の返答は 「義経は鎌倉どのの一御家人にすぎず、かつはこのこと、梶原その他に諮はか
らば、おそらくはその反対に会わん」 という拒みであったのだ。 「・・・・さて、いかにせん?」 時忠は、暗い面おもて
を、燭しょく にそむけて、考え込んだ。 大事中の大事。しかも時は、明日を待てぬまでに迫っていた。
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