「灯を消せ。松明
も」 「敵は遠いが、夜眼にも、ふと、気ぢられてはならぬ」 たれかの声。 同時に、ばたばたと、松明たいまつ
が踏み消され、白衣の神人じにん
たちが走りまわって、室内の微かす
かな紙燭まで消そうとするのを、 「待て待て。そこの灯は消すな。敵の串崎くしざき
から見えさえせねば大事はない。が、念のためぞ。廊の東面の簾す
はすべて垂れたがよいの」 これは門脇中納言 (教盛) の声らしかった。 その辺りに、和布
め 刈かり
の神官橘魚彦たちばなのなひこ
がぬかずいていた。内大臣の殿から直々じきじき
の質問にたいし、何か答えていたのである。宗盛がただしたのは、 「この御崎へ、源氏はまだ一兵も揚がって来なかったか」 ということ。 また夕刻までこの附近に布陣していた味方の筑紫党つくしとう
の船列は、早鞆はやとも ノ瀬戸せと
を出て、田野浦へ移動したはずだが、それらの士気はどうであったか。 この辺から逃亡したような将士はなかったか。神社へ狼藉ろうぜき
を働いた兵などもあるまいな。等々のことであった。 神官の魚彦なひこ
は、 「筑紫党の諸船もろふね
も、田野浦へ進み出るのを見ておりましたが、一糸いっし
乱れず、士気は極めてお旺さか
んでした。陣抜じんぬ け、狼藉ろうぜき
の兵などは、見聞きもいたしませぬ」 と、つつしんで答えた。 「さらば、安心よの」 宗盛は、左右の座にある経盛、盛国、教盛などの、ほの暗い中の顔を、と見こう見、つぶやいた。 そこへ、御崎へ上がるとすぐ後ろの高地へ上がっていた知盛、教経たちが戻って来た。そう二人も座に加わって、 「今は、敵のとって潮刻しおどき
も悪あ しく、月もないので、敵の義経がにわかに襲よ
する惧おそ れはない。沖遠くにも、そのような気配は、まず見えませぬ」 と、観望して来たままを告げた。そして、 「また、対岸長門ながと
の火ノ山や町屋の兵火も、夜には入ってから、暗く燻いぶ
り沈んで見えまする。陸くが の源氏が、矢声もひそめ、ひたと、うごきを休や
めたのは、思うに、明日あした
に期すところがあるせいでございましょう。必ずや、明日こそは、源九郎義経みずから、その姿をわれらへ近々と見するに相違ありませぬ」 と、知盛は一同の覚悟をうながし、なお語をつづけて、 「いかなる約束事か、敵のうかがう戦いの機しお
も、味方が望んで出た機しお も、期せずして、日まで一つとなりました。左右そう
なく、明朝こそは、平家か源氏か、天下の帰着も定まりましょうず。・・・・が、それまでの半夜ほどは、なお寛ゆる
やかにおわすがよい。ここにて戦捷せんしょう
の祈誓きせい をささげ、神酒酌みきく
みわけつつおたがい、あすともなれば別れ別れとなる露の身を、せめてしばし、愛いと
しみ合うもよいでしょう」 と、沁々しみじみ
言った。 |