主上は、桔梗色
のお袴に、薄色の練絹ねりぎぬ
の小袖こそで を召され、下に濃い山吹やまぶき
の色を襲かさ ねておいでになった。 きっと、尼か女院が、お髪ぐし
を洗ってさしあげたに違いない。ひと際、つややかに、うない髪の切りそろえたのが、房々ふさふさ
と、お耳のあたりを包んでいた。 「おん母 ──」 みかどは、武者たちの舁か
きよせる御輿おこし を見ると、女院の袖へかたくすがって
「どこへ行くのか?」 と、幼心おさなごころ
にも、何か、お疑いを抱かれたようであった。 もしここで、いつものだだをおこね遊ばすようなことになってはと、女院も尼も、そして典侍たちまでが、さまざま、おもしろそうに、ご機嫌を取った。で、つつがなく、おん輿は、供奉ぐぶ
の公卿、僧侶、大勢の女房たちに付き添われて、低い岡一つを越え、海辺の方へ流れて行った。 すぐ、賢所かしこどころ
の遷座せんざ もつづいた。 行宮あんぐう
の内でも、それにはべつな一殿いちでん
を設いつら え、昼夜の警固が付いていた。神鏡かみかがみ
、宝剣、神璽しんじ の三種の神器が秘封してある唐櫃からびつ
であり、それの行く所、在あ る所を
── 賢所かしこどころ 、または内侍所ないしどころ
とよぶのである。 その賢所の守護陣には、その任務だけで一軍隊を成しており、修理大夫経盛をかしらに、資盛の弟、少将小松有盛、丹後侍従忠房、内蔵頭くらのかみ
信基のぶもと などが、武者大勢とともに唐櫃を守って行った。 夕せまる浜辺は、物のあいろも定かでないほど、女人の姿も甲冑かっちゅう
の影も、黒々と、混雑していた。真っ赤な夕陽ゆうひ
の波映が、ぎらぎら眼を射るせいであろう。そして、幾艘かの唐船造からふねづく
りの楼船、幾十艘の兵船、無数の小早舟こばや
や小型の舟も、海面を埋めていた。 「やあ、まだ泣き足らず、ここへ来てまで、なんの泣き惑いぞ。女房船はあれよ。早う乗れ、女房どもは」 能登守教経の声である。 彼は、船ぞろいして、今日半日、待ちしびれていたところだ。 海戦ならば、やわか源氏に負けるべき、という自信にその顔は燃えている。 わずかな源氏の騎馬隊のため、赤間ヶ関の木戸も駆け散らされたと耳にして、
「ふがいない見方のやつばら」 と、さっきから歯がみをしつつ 「── 見よ、義経、やがて、晴は
れの海原うなばら にて、教経が手練にかけて、眼にもの見せてくれるぞよ」
と、腹に言っていた時でもあった。 自然、気が研と
げ立ち、眼底まなぞこ には、悲痛な闘志のいなずまが光っていた。──
憐れと見れば、見も出来ないほどな女房の群れが、今、どっと柵から浜へ流れ出て来て、うろたえ、悲しみおうている姿へも、彼は、羅刹らせつ
のごとく、 「しゃつ、何をめそめそ。さまで波間が恐ろしくば後に残れ、しいて船に乗れとはいわぬぞ。ただ、お座船や味方とともに、離れじものと、後生ごしょう
までを願う者のみ乗ればよい。その女房船は、あれに見ゆる十艘ほどの船ぞ。涙ながら懸板かけいた
を渡わた り伝つと
うて、懸板から海へ落つるな」 と、荒々ろ、どなっていた。 教経とて、涙はあろう。その涙がまた、反対の表情や声になって、鞭むち
の叫びになるのだった。 そこへ、 「おん輿こし
が渉られます」 と、先触れがあった。 伊賀平内いがのへいない
左衛門家長さえもんいえながの率いる近衛兵がすぐ見えた。
内大臣おおい の 殿との
は、ゆさゆさと、歩いて来る。門脇かどわき
中納言教盛が、すぐ後ろだった。 輿は三つ。 一つは、みかどと女院が、同座しておられ、ほか二つは、二位ノ尼と北きた
ノ政所まんどころ が乗っていた。 治部卿じぶきょう
ノ局つぼね も、大納言佐だいなごんのすけ
ノ局つぼね も、按察あぜち
ノ局つぼね も、臈ろう
ノ御方おんかた も、帥そつ
ノ局つぼね も、ほか多くの女性もすべて歩いた。これが清涼殿せいりょうでん
の御庭みにわ や仁和寺にんなじ
の花の山ならどんなにか綺羅美きらび
やかであろうが、天地は春とはいえ、暗澹あんたん
な戦雲に汚れてい、玄海げんかい
の海風は痛い潮気しおけ をふくんで、この人たちの白い皮膚や黒髪を吹きみだした。 とはいえ、おん輿を取り囲んで、風の中に、その人びとが立ち惑うと、磯の香も覚えぬほど、伽羅きゃら
や白檀びゃくだん の匂いが、甲冑かっちゅう
の影のあいだを吹き漂った。そればかりか、明日にも亡骸なきがら
になって、どこへ流れ着いても、人目に嘲わら
われないようにと、死後の姿を心している人びとでもあるので、風にひるがえる袖の裏や裳も
や黒髪の黒さまで、いずれも、眼がさめるほど、清げであった。こんな場合には不似合いなほど、そのきれいさは、なるで妍けん
を競う百花に似ていた。 |