〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/05/03 (土)  ふうしょう (五)

知盛の言葉は、ふだんの調子とどこも違わなかった。先ごろ、原田種直の放遂に怒ったさいは、多少、激色も見せたが、その後の彼は、ある達観をもったもののように、宗盛へも教経へも、内輪の違和を避け、努めて穏やかに接していた。
だから今暁来、宗盛の指揮へも、幾たびか、非は非として諌言かんげん したが、決して、宗盛を怒らすようには言わなかった。宗盛も、そこは分かって、
「いかのも、いかにも」
とばかり、よいことには、遅疑なく同意して来た。
── で、今の忠言に対しても。
「いわるる通り、みにく い戦はしとうない。あのざまを見よと、世の笑い草になっては、 入道にゅうどう どのは申すに及ばず、平家の名に相すまぬ。・・・・このうえは其許そこもと の指揮にまかせよう。長門の地の利、水師の駆け引き、用兵のさしず、なべて宗盛よりは其許の方が詳しくもあり馴れておらるる。総領役として、大将軍の将座にあれど、合戦に臨んでの下知げち は其許よりくだ した方が手っ取り早い。── 黄門どの、其許なれば、このの防ぎは、どうするぞ」
「べつに、名策もございませぬが、はや、時機は来たれりと思われまする。早々、玉座を波間へうつ し奉り、どこまでも、おん供申し上げたいやから は、残らず供奉ぐぶ の船上へ移り、われらも、船陣ふなじん を組んで、ここを出陣すべきが順序かと思われまする」
「おう、それなら、今朝からもう万端の用意は成っていることだ。すぐ渡御とぎょ を仰ごう。黄門どの、奏上を仰がれい」
「心得ました」
知盛は、きざはし の下へ行って、端然とひざまずき、やや改まった言葉で、内へ告げた。
「御簾のあたりに、お人あらば、内へお聞こえ上げ候え。・・・・いま、とり下刻げこく (午後七時) と覚え候うが、いぬこく (午後八時) までに、相違なく、主上女院以下、おそろいあって、福良ふくら の海際まで、渡御あらせられろと ── 。また賢所かしきどころ もお座船へ捧持ほうじ し参らせ、浦々の諸船もろぶね すべて、この彦島を一陣となって立ち出で候うべし。・・・・ う、ほかの方々も、立ち出でられよ」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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