〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/05/03 (土)  ふうしょう (四)

命を受けた部将は、そろってみな床几を去った。そして各二百、三百ずつの隊伍たいご をととのえ、小瀬戸を渡って陸戦へ駆け向かった。そのため彦島の兵数は急に低下が目立ったほどだった。
たちまち、赤間ヶ関の屋根の下や、うしろの山々、浜の松原などにも、兵塵へいじん が立ち昇っていた。雄叫おたけ びは、海を越えて、彦島まで聞こえて来る。
「さて、いかに?」
宗盛は気が気でないものの如く、おりおり、不意に床几を離れて、さく つづきの小高い岡へ登って行き、海陸を一望して、また、元の床几へ返って来た。
そこへ、小瀬戸口の小松資盛が、自身、つぶさな戦況を知らせに来た。
資盛の言葉によると。
源氏方は、初めから、騎馬隊で突入して来たわけではない。
義経麾下きか の、草の実党の者が忍び組となって、前日ごろから、赤間ヶ関の町中へまぎ れ込んでいたらしく、火ノ山方面に、源氏の騎兵が攻勢にかかると同時に、町屋の諸所へ火を放ち、一せいに蜂起ほうき したものだという。
しかし、彦島から即刻、加勢に渡ったため、草の実党は街中から一掃され、敵の騎馬隊も、漸次ざんじ 、町の東北方へ、追いしりぞけてはいるが、なお油断の出来る状態ではない。今夕から夜半にかけてが、もっとも、危険な時機に遭遇しよう。敵は必ず捲土重来けんどじゅうらい して、一挙に、この彦島の渡口とこう ── 小瀬戸へ迫って来るに相違ないと、資盛は自身の観測もあわせて述べた。
「な、なに、小瀬戸へ」
宗盛の持った恐怖は、その顔に燃えて出た。彼の中には、敵への主力観が転倒していた。主力は、義経の水軍にあるものを、側面の敵たる陸岸へ向かって、心を奪われたように見える。
「それや一大事ぞ。万が一にも、小瀬戸を突き破られたら、この小島、足掻あが きはつかぬ。いや破られぬまでも、伊崎の岸を封じられては、袋のねずみ だ。なんとしても、敵を伊崎へ近づけてはならん。なお、防ぎの兵力が足らずば・・・・」
と、宗盛はまた、部将の座を見まわして、さらに増援を送ろうとする容子であった。
その時、知盛は初めて口を開いた。
「あいや、これ以上、ここの兵を くのは不策かと存じまする。それこそ、敵のはかり ちるものではありますまいか」
「では、 して、敵が島口へ寄るのを待つのか」
「と申されては、お答えに窮しますが、敵の陸兵は、海上の本軍を側面より援けることが、そのはかり ならんと察しられます。さるを、側面の敵につりこまれて、わが水軍を手薄となせば、敵の九郎義経にとっては、思うつぼではございますまいか。このたびの戦いこそは、敵もお味方も、あくまで主力は海上にあり、海上においてのみ、雌雄は決せられるものとお覚悟あってしかるびょう存じまする」
「では、陸地くがじ の防ぎは」
「おそらく、敵の騎馬勢とて、そう大軍ではありますまい。ままよ、かしこは彼らの馬蹄ばてい に任せ、むしろ先におつかわしの者どもも残らず引き揚げて、お座船を真ん中に、平家の総勢一つとなって海上へ進み出で、敵の大将軍義経と、乾坤一擲けんこんいってき の御一戦を懸け給うこそ、せめて、お手際ではございますまいか」
「・・・・・」
「惑うて、いたずらに兵を分けなば、船手はもろ し、島は海陸より攻めふさ がれ、みじめな敗れを招かぬとも限りませぬ。勝ち負くるは、神のみが知る運命ながら、上にみかどをいただき、下に、なお生死をとも にと誓う六千の将士あるわが平家です。あわれ、さすが平家よと、世へ恥かしくない一戦の下に、自身一個のよい死場所も得たいものと思いまする。お互い、ここは妄動もうどう をつつしみ、一門和して、華々はなばな しい一戦を遂げようではございませぬか」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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