たれよりも、総大将の宗盛は、そのわめきを、その刻々に、甲高
くしていた。 「加勢加勢と申すが、さきに安芸守景弘父子をやり、また後より、美濃前司みののぜんじ
則清のりきよ が手勢をも差し向けてある。美濃前司みののぜんじ
は、何してぞ」 かれが言っているところへ、 「前司則清ぜんじのりきよ
どのは、敵の手に生け捕られたりと、その配下の兵どもは、ちりぢりに伊崎の岸へ、逃げなだれて参り申した」 と、伝令の一騎が伝えて来た。 「何、何、則清が生け捕られたと。──
聞いたか、黄門どの」 宗盛は、信じられない顔をして、 「陸くが
の備えは、一切いっさい を其許そこもと
の手にゆだね、われらが彦島へ来る以前より、確しか
と、固めおかれたはずだ。そのため、われらは陸くが
に不案内、いや、大安心しておった。しかるに、いま聞くようなもろさとは、思いもよらぬことではある。そも、なんとしたことぞ」 と、知盛の騒ぎもしない落ち着きを見て言った。 「いや、おことばですが」
と、知盛はあくまで、静かな床几姿のまま 「── 敵が豊浦とよら
から火ノ山へ寄せ始めたのはおとといからのこと、堅き備えと、味方の必死な防ぎがあったればこそ、よくその二昼夜を守り得たものといえましょう。決して手抜かりはございませぬし、味方だ弱きためでもありませぬ」 「では源氏が強きゆえ、ぜひもなしと、あきらめておられるのか」 「かなしいかな、陸くが
合戦では、騎馬上手な東国勢には、しょせん、当り得ません。まして、聞き及ぶところ、陸路くがじ
の寄せ手は、坂東ばんどう 武者のうちでも、金子十郎家忠、畠山庄司重忠、熊谷次郎直実など、名うての武者どもとも申しますゆえ」 「やあ、臆おく
されたの、黄門どのには。いかに、坂東武者であろうと、敵の百騎に味方の千騎をもって当るほどならば、など、負ひ
けをとろうか。さるを、そう悠然ゆうぜん
と見ておられるゆえ、われらまでも、そこは不落の守りと、心をゆるしていたことぞ。もうもう、其許の計らいには恃たの
んではおれぬ」 やにわに、彼の眼は、遠くの武者座に床几を並べている武将たちの方へ向かい、 「権ごん
ノ藤内貞綱とうないさだつな 兄弟」 と、呼びたてた。 はっと、かなたで高い答いら
えがする。 宗盛は、つづいて、 「摂津判官守澄、右馬うま
ノ允じょう 家持。上総五郎兵衛忠光。菊池二郎高直」 と、いちいちその者の顔を名ざし、そしてなお、一門の左中将清経をも加えて、 「面々は、すぐさま、手勢をひっさげて、かなたの陸地くがじ
へ渡って、源氏を追い払え。そうだ、戦馴れた越中次郎兵衛えっちゅうのじろうびょうえ盛嗣もりつぐ
も馳は せ行くがよい」 と、火のごとく命じた。 たしかに、一刻の猶予もできない急務だし、至当な命に違いなかった。赤間ヶ関を敵の兵馬に占められれば、ここは母屋おもや
の廂ひさし に火がついたかたちである。彼として、あわてたのもむいはない。 |