〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/05/02 (金)  ふうしょう (三)

たれよりも、総大将の宗盛は、そのわめきを、その刻々に、甲高かんだか くしていた。
「加勢加勢と申すが、さきに安芸守景弘父子をやり、また後より、美濃前司みののぜんじ 則清のりきよ が手勢をも差し向けてある。美濃前司みののぜんじ は、何してぞ」
かれが言っているところへ、
前司則清ぜんじのりきよ どのは、敵の手に生け捕られたりと、その配下の兵どもは、ちりぢりに伊崎の岸へ、逃げなだれて参り申した」
と、伝令の一騎が伝えて来た。
「何、何、則清が生け捕られたと。── 聞いたか、黄門どの」
宗盛は、信じられない顔をして、
くが の備えは、一切いっさい其許そこもと の手にゆだね、われらが彦島へ来る以前より、しか と、固めおかれたはずだ。そのため、われらはくが に不案内、いや、大安心しておった。しかるに、いま聞くようなもろさとは、思いもよらぬことではある。そも、なんとしたことぞ」
と、知盛の騒ぎもしない落ち着きを見て言った。
「いや、おことばですが」 と、知盛はあくまで、静かな床几姿のまま 「── 敵が豊浦とよら から火ノ山へ寄せ始めたのはおとといからのこと、堅き備えと、味方の必死な防ぎがあったればこそ、よくその二昼夜を守り得たものといえましょう。決して手抜かりはございませぬし、味方だ弱きためでもありませぬ」
「では源氏が強きゆえ、ぜひもなしと、あきらめておられるのか」
「かなしいかな、くが 合戦では、騎馬上手な東国勢には、しょせん、当り得ません。まして、聞き及ぶところ、陸路くがじ の寄せ手は、坂東ばんどう 武者のうちでも、金子十郎家忠、畠山庄司重忠、熊谷次郎直実など、名うての武者どもとも申しますゆえ」
「やあ、おく されたの、黄門どのには。いかに、坂東武者であろうと、敵の百騎に味方の千騎をもって当るほどならば、など、 けをとろうか。さるを、そう悠然ゆうぜん と見ておられるゆえ、われらまでも、そこは不落の守りと、心をゆるしていたことぞ。もうもう、其許の計らいにはたの んではおれぬ」
やにわに、彼の眼は、遠くの武者座に床几を並べている武将たちの方へ向かい、
ごん藤内貞綱とうないさだつな 兄弟」
と、呼びたてた。
はっと、かなたで高いいら えがする。
宗盛は、つづいて、
「摂津判官守澄、右馬うまじょう 家持。上総五郎兵衛忠光。菊池二郎高直」
と、いちいちその者の顔を名ざし、そしてなお、一門の左中将清経をも加えて、
「面々は、すぐさま、手勢をひっさげて、かなたの陸地くがじ へ渡って、源氏を追い払え。そうだ、戦馴れた越中次郎兵衛えっちゅうのじろうびょうえ盛嗣もりつぐ せ行くがよい」
と、火のごとく命じた。
たしかに、一刻の猶予もできない急務だし、至当な命に違いなかった。赤間ヶ関を敵の兵馬に占められれば、ここは母屋おもやひさし に火がついたかたちである。彼として、あわてたのもむいはない。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next