こうして、二十三日の午前
はまだ、からくも平穏だった。わずかな眠りや何かの心支度なども許されていた。── けれど午ひる
すこし過ぎからやや風立って来、白い波騒なみさい
をおおって、どこからともなくはい降りて来る黒煙くろけむり
が海面いっぱいに見え出したころ、様相はまるで一変して来た。 つい今し方まで、味方の堅い守備の中にあるものとのみ思われていた赤間ヶ関の二、三箇所から火の手が揚がっていたのである。わけて火ノ山方面はただ事とも思われない。そこから吹き降ろされる黒煙は真下の壇ノ浦や早鞆はやとも
ノ瀬戸せと の内一面にまではいひろがって来たのであった。 彦島の地上も、黄昏たそがれ
れのように陽ひ が翳かげ
った。騒然と、人馬の影が右往左往し、しきりに、 「敵は近い。はや、眼に見える近くまで」 と、急を告げあい、 「陸くが
の源氏が、火ノ山へ攻め懸ったぞ。源氏の謀者しのび
が、関の町中へ紛まぎ れ入り、ここかしこ、火を放った」 と、兵の中で喚わめ
きぬく顔も見える。 宗盛、知盛らのいる御所の中軍の柵へは、当然、小瀬戸ノ口から、櫛くし
の歯を引くような早馬だった。また、赤間ヶ関の岸からも小早舟こばや
の帆が斜めに風を孕はら んで、田ノ首や勅旨待てしまち
の岸へ向かって来る。その舟から駆け上がって、柵へまろび込んで行く影は、すべて、おなじような急を告げる兵たちだった。 「火ノ山の陣場は、敵の放火に見舞われ、無念ながら、お味方は西北の低地へ、退いておりまする」 「景弘どの父子の手勢も、源氏の騎馬勢に駆け散らされ、さんざんな御苦戦の態てい
とか」 「いやすでに、お討死の聞こえもあります。一刻もはやく、御加勢なくば、つぎつぎに、木戸を打ち破られ、町の要所は、すべて敵の掌て
に落ちましょうず」 |