知盛の制止は、たれの耳へも、以外に聞こえた。 中でも、反撥を見せたのは、直々
、渡御とぎょ の儀仗ぎじょう
を支度して来た宗盛であったのはいうまでもない。 彼のその顔が、知盛の方をじろと見た。と思うと、ずかずか歩み寄って来て、 「黄門どのか、なぜ、渡御をお止めなさるのだ。なんのお心にて」 いつもの鈍重にも似ず棘とげ
を持った声音こわね だった。 「いや、令を冒おか
し奉るわけではありませぬ。・・・・ただ」 よ、知盛は、兄へも、みかどの玉座へも、恭順そのままな姿をひざまずかせて。 「知盛が思うには。敵迫れりといえ、まだ戦いにはいったわけではなし、今から船上へ御遷幸ごせんこう
あらせられても、女院、尼公あまぎみ
のおつかれはいうもおろか、海上別れ別れと相なるため、敵に接しるまでの一糸いっし
乱れぬ陣を保って、それを待つのも、容易ではありますまい」 「しゃつ。そのようなことは、知れきっておるが、しかし、敵は今暁すでに、早鞆はやとも
の瀬戸せと の東へ影を見せたという。いざとなってからでは」 「いえいえ、決して、遅くはございませぬ。先鋒せんぽう
には筑紫つくし の山賀、松浦などの一陣がすでに海上にあり、二陣に阿波民部、そのほか、さて次のわれら中軍の内に、御座船は位置されることですから」 「では、まだ御座船が沖へ出るには、早いといわれるのか」 「そうです。なお玉座は、ここにおかせ給い、いざ今ぞ、と見えたとき、渡御を仰ぐも、よろしいかと思われますが」 「そうか。なるほど・・・・」
宗盛はどう思ったか、案外、態度をすぐかえて 「能登どの。能登どのには、その儀、どう思うな?」 とうしろへ、訊たず
ねた。 何かにつけて、彼の信頼は、教経に厚いらしい。教経は、答えた。 「黄門こうもん
ノ卿きみ のお考えは至極です。それがしにも、異存はおざりませぬ」 「ならば、能登どのの手勢は磯に出て、いつでも渡御をお待ちするよう備えてpかれよ」 そこで、おん輿こし
は一時、階きざはし の下にすえ置かれ、教経以下の将士は、磯へ立ち去った。 このにわかな模様がえは、一時ながら、女房たちをほっとさせた。足許から鳥の立つような支度を余儀なくされたため、尼や女院も、ゆうべは一睡もしていなかったし、みかどの供御くご
(食事) を始め、みな、朝餉あさげ
もすましていないのである。 |