その文字ヶ関の沖に、一陣の船列を敷いて、早鞆
ノ瀬戸せと の口を、不断に見張っていた松浦党の一将、呼子兵部少輔よぶこのひょうぶしょうゆう
清友きよとも は、櫓立ろだ
て十二挺ちょう の小早舟こばや
を飛ばして来て、 「敵、九郎義経どのの水軍、およそ六、七百隻、いよいよ見参に入りましょうず」 と、知盛の前に告げた。 「来たか」 知盛も、さすが大きな呼吸をした。 「──
して、まっすぐに、この暁の満潮みちしお
を見つつ、早鞆ノ瀬戸へ、向かって来るようか」 「いや、さはにわかにも進んで来る様子ではありませぬ。満珠まんじゅ
、干珠かんじゅ の二島と壇ノ浦の東のあたりまでを、おびただしいその船影が、遊弋ゆうよく
しておりますが」 「進みもやらず、退きもせず、あの辺りの海上を?」 「あるいは、そこから、船上の武者を岸へ上げ、まず陸くが
の寄手よせて とひとつになって、火ノ山の高所を攻め潰つぶ
さんとするものかとも思われますが」 「それもあろう」 知盛は、突っ立って、いちど、何か衝動のまま動くとしたが、また床几へ腰をもどして、 「惜しいことだ。今からの出勢では、ちと遅い」 と、つぶやいた。 そして、なお呼子よぶこ
兵部ひょうぶ へ言うには、 「今日このごろの暁は、満々として漲みなぎ
り見ゆる満潮だが、およそ、今より一刻いっとき
(二時間) を過ぎなば、潮うしお
は急流のごとく、東の内海うちうみ
へ向かって、落潮らくちょう を現わし始める。──
敵が、その潮時しおどき もわきまえず、潮に逆ろうて来るならば、百艘千艘の陣も、手に唾つばき
して、一挙に海底へ葬ほうむ り去ることも難くはない。・・・・だが相手は、九郎判官どのよ、そこはおそらく抜かるまい。さは、うかつに、盲進してくるわけはない」 と、自問自答して、何か、べつな手段てだて
を思いめぐらす容子だった。 「それよ、敵の義経どのが、今暁、影を見せたのは、あらかじめ、潮の速さや、満み
ち干ひ の時刻、渦潮うずしお
の場所など、戦の前に、見ておこうの腹であろう。おそらく、今日は合戦の腹ではあるまい。まず、お汝こと
ら筑紫勢の船をもって、備えのみを示しておけ。敵は間もなく、元の串崎へ退き下がるに相違ない」 下知を与えて、呼子兵部を沖へ返すと、知盛はすぐ床几を離れて、行宮の御廂みひさし
の方へ歩いて行き、階きざはし
の下にひざまずいた。 |