串崎の若者は、一人残らず、勇躍して磯へ上がり、義経の床几のある所へ、拝謁
に向かったが、鮪太は、どさくさに紛まぎ
れに、櫓座ろざ を立つやいな、山の方へ向かって、駆け出していた。 どういうつもりもなかったが、幼少から親も自分も平家に仕え、わけて自分の生まれた小月おづき
の郷さと も、知盛の領地であった。領下の民は、平家がこうなった今でも知盛卿のことを悪くいう者は一人もいない。 鮪太が夢中で逃げた気持の中には、そういう日ごろのものが入り交じっていた。そして走りつつ
「いっそ、このことを、一刻も早く、知盛卿のお耳に入れてあげよう。御恩報じに立つかも知れない」 という気になったものだという。 「── 鮪太と申すか。よくぞ知らせてくれた」 知盛は、礼を言った。 自身の旧領土に、このような民が、今もいてくれたかと、うれしかったのである。 いや、より以上、鮪太の報は、彼の手順と戦略上でも貴重だった。──
義経のいる敵水軍の中心が、すでに目と鼻の先まで来ていようとは、知盛さえ、意外であったのだ。 鮪太の口から聞きえたところで想像するに、その水上陣容といい、義経らしい周密な用意といい、隻数といい、こんど迎える敵は、かつての比でない強力なものであることも、はっきりしてきた。あらためて、覚悟もすえ、それに当るだけの思慮と備えをもたないではと、彼の五体は硬い皮革の下でもう脈々と血を博う
つのだった。 「鮪太、早くこの島を去れ」 知盛は、彼に褒美ほうび
としてやる物がないので。身につけていた香袋を形見に与え、 「そちには、老父があるという。漁夫、百姓はしても、ふたたび武家奉公はすなよ。早く行け、関の辻の通れるうちに」 と、追い返した。 知盛は、柵を出て行く鮪太の影を見送った。そしてその後ろ姿にふと制止出来ない羨望せんぼう
を覚えた。彼は自由であるということだった。彼の帰って行くさ先には、軒傾いた小屋と腰の曲がった老父がいるだけであろうが、そこには生々きとしてなんの拘束もない土壌どじょう
の青い物や水車やまた海の色や太陽が待つであろう。── ああ、かつて栄花といわれたもの。高き階位と仰がれたもの。あれは何か、なんの幻まぼろし
だったのか。自嘲じちょう せずにいられない。 「・・・・・・」 自身を嘲笑あざわら
う知盛の顔は、いつか、夜明けの薄明りの下にあった。── この朝、二十三日。義経の水軍は、串崎の鼻を迂回うかい
し、満珠千珠の二島をかわして、壇ノ浦の水路をうかがい、潮の早さや、豊前、長門の岸の気配を、ひそかに瀬ぶみしていたのである。 |