赤間ヶ関の辻の一箇所を固めていた美濃前司
則清のりきよ の部下は、怪しげな一人の男を捕えて、則清の前へ引いて来た。 「こやつ、源氏のまわし者に相違ありませぬ。ここの市人いちびと
でもなし、旅人とも見えず、うんさんな眼をして、伊崎の木戸をうかごうておりましたれば」 と、殺気立っている兵たちは、その男を、踏んだり蹴け
ったり、口も開かせないのだった。 「まあ、待て。── いい分も聞いてやれ」 則清のりきよ
は、部下の狼藉ろうぜき を解いて、 「どこから来た。そちは?」 と、まず訊ねた。 「串崎の者でおざる」 男は答えた。 昂然こうぜん
として、また。 「串崎にほど近い小月おづき
の住人、小月鮪太おづきのしびた
と申す者。今でこそ、名もない磯人いそびと
でおざれど、以前は、老父とともに都へ出て、久しいこと、権中納言ごんちゅうなごん
どのの車宿くるまやどり に、車雑色ぞうしき
として仕えていたこともありまする」 「なに知盛卿の車雑色じゃと」 「されば、六波羅、西八条を焼き払うて、御一門、都を落ち給うその日までは」 「それは嘘うそ
でないか」 「偽りならぬ証拠は、こよい命がけで、串崎の仲間を脱け、ここへ大事をお知らせに来たのをもって、お信じ給わるしかございませぬ」 「と申す、大事とは」 「敵の義経どのが率ひき
いる水軍数百艘を、この眼で見申したゆえ、驚破すわ
、一刻も早く彦島へと存じまいて」 「えっ。源氏の水軍を、眼で見たと」 則清は、仰天した。 なおまだ、敵は陸上から来る火の手だけと考えられていたのである。 則清はすぐ、鮪太しびた
を連れて、伊崎の浦から彦島へ渡った。 そこの海幅せまい渡し口が小瀬戸であった。 島と伊崎の岸との間に、数条の太綱が懸け渡してある。武者舟、馬舟、荷舟などの交通は、それを手繰りつつ絶え間もない。 小瀬戸を守る新三位中将資盛に、わけを告げて、則清は、島内へはいった。そして福良ふくら
の御所に、知盛を訪うて来たのが、もう夜半も過ぎたころ。 知盛の前では、鮪太しびた
の訴えも一そう詳細であった。 ── つい、宵のこと、彼は語る。 鮪太は、串崎の地侍じざむらい
や神主に狩り出されて、ほかの屈強な若者とともに、櫓拍子ろびょうし
をそろえて、串崎の北磯へ、漕こ
いで行った。 見ると、北磯の蔭には、大小六百の船群が、碇いかり
を下ろしてい、磯にも、たくさんな武者がながめられ、なんとも物々しい景色であった。 ここへ来るまで、鮪太は何も知らなかったが、磯へ着くと、忌宮いみのみや
の神官だの主船司すせんじ 久忠ひさただ
などという土地ところ の有力者が
「── ここへ漕こ ぎまわして来た串崎舟十三隻は、すなわち、源氏の大将軍へ献上する物である」
といい 「おまえたちも、磯へ上がって、判官義経どのに、お目通りを賜るのだ。そして、あすの船戦ふないくさ
に、串崎男の腕を見せて、忠勤をぬきん出れば、立身出世は疑いない。出世したくば、命をなげうって、源氏の為に戦せよ」 と、いい渡された。 |