──
と、二人のそばへ、宗盛がずかずかと歩み寄って来た。かなたの床几で、さっきから、尼と知盛の話しを横耳にしていた総領の宗盛だった。 「おはなしの途中なれど」 と、宗盛は、尼と知盛とを、当分に見て、 「おたずねの儀は、一に合戦の成り行き次第と申すほかない。陸地
へ御動座あれば、安泰には似たれど、敵は海戦に出る前に、陸兵を襲よ
せ、途々あの通り、兵火をほしいままに攻め下って参りまする。・・・・さすれば、赤間ヶ関も安泰ならず、彦島とて、小瀬戸の守り一つ。しょせん、主上を始め奉り、以下女房方まで船上におわすのが、もっとも、よろしいかと考えられる。のう、これは先夜も、黄門どのへ、計ったことだが、其許そこもと
の御所存は、いかがあるかの」 彼としても、すでに腹には決めているものを、わざと意見をただす風だった。 当初、玉座の場所については、さまざま議せられたものだった。 しかし、豊後ぶんご
には、源氏の三河守範頼がい、長門ながと
も義経の麾下きか が先駆して来る今となっては、この彦島のほか、みかどの御座ぎょざ
の地は、どこにもない。が、宗盛としては、ここさえ、不安らしいのである。 万一、自身が海上に出て戦う日、あとの彦島で、みかどの御身を繞めぐ
って、どんな善意であろうと、自分の意志に反そむ
く ── たとえば帝の御身隠しといったような策が ── 味方内で企まれないとも限らぬ、よいう危惧きぐ
があるのだ。 彼のそうした猜疑さいぎ
は、櫛田の神主の密書と、原田種直の帰国に絡んで、一そう強くなっていた。 「玉座のさだめは、大事中の大事、そこは総帥そうすい
たる兄君のお胸において、われらへ、おさしず賜わりませ。── こうせいと仰せあらば、知盛に、なに異存がございましょうや」 知盛は、そう答えた。 原田の帰国にも、知盛は沈黙を守って見ていた。もう兄とは争うまいと決めていたのだ。兄の猜疑する点もよく分かっている。まず兄の疑いに触れぬことが、全軍一致の前提と彼はしていた。 「そうか、そういわれると総領の任は重いの」 宗盛は、果たして、幾分か、眼をやわらげた。そして尼の方へ、 「あるいは、お気に染まぬやも知れませぬが、玉座を陣頭に仰いで戦うのと、後ろに残して、後ろ髪を引かれつつ戦うのとでは、士気の強弱に雲泥うんでい
の差がありまする。他ならぬこの度の決戦、ぜひぜひお座船は一門の船列そ並んで海上へ進み出られ、すべての者と、興亡をともに遊ばすの御心を示し給わんことを、宗盛よりも、お願い申し奉る。──
いやこれは、宗盛一存の望みなどではありませぬ。それが即そく
、戦に勝つの軍略でもございますれば」 と、かさねて言った。 「わかりました」 尼は、しずかに。 「では主上はお座船に。・・・・そして、ほかの、またな女房たちも」 「たれかれをとわず、みな女房船へ移させ、お座船の供奉ぐぶ
申しあぐるがよいと思う」 「乳ち
のみ子をもつ女性にょしょう もあるが」 「それはそれの、心まかせといたしましょう、要は、合戦の日、玉座は中軍におく奉るということです。そのお心ぐみにて、はや何かの御用意を」 総帥そうすい
の言は、すなわち、軍命といってよい。尼はもう何も言わなかった。起た
って、ほの暗い簾す の奥にその姿を隠した。
|