〜 〜 『 寅 の 読 書 室 Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
浮
(
うき
)
巣
(
す
)
の 巻
2014/04/28 (月)
筑
(
つく
)
紫
(
し
)
の
紅
(
こう
)
白
(
はく
)
(三)
種直は、大床の真ん中に、
円座
(
えんざ
)
も与えられず、じかに引きすえられた。すでに
科人
(
とがびと
)
の扱いなのだ。そして、これは吟味の座の形ではないかと疑う。
身に吟味を受ける後ろめたさは何もない。乱れまいと、彼は自分をなだめていた。
「
小卿
(
しょうきょう
)
」
宗盛が、呼びかけた。冷やっこい声である。──
忌
(
いま
)
まわしげに、そういう人を見る種直の眼と、宗盛の
眼差
(
まなざ
)
しが、無言の内に闘った。
種直には、何か、その時、心に読めたものがあった。腹をすえねばならないと感じた。
「御辺と平家とは、久しいものだが、ついに御辺も、この期になって、われら一門を裏切りおったな」
ことばは穏やかである。宗盛は、激していない。
おそらく、宗盛から一門の諸卿へ、内輪の話はすんでいたにちがいない。種直には、そう思われた。
「心外な
御意
(
ぎょい
)
を伺いまする」 種直も、静かに
頭
(
ず
)
を下げて ── 「裏切りなどとは、ゆめ、覚えのないこと。かつは、原田党として口惜しき儀にぞんじまする。身の
辱
(
はじ
)
は忍ぶもよし、末代子孫までの汚名は
堪忍
(
かんにん
)
なりませぬ。
仔細
(
しさい
)
を仰せ給わりましょう」
「お。いわいでか」
宗盛は、眼の隅から、横の座へ、
「能登どの、見せてやれ」
と、言った。
教経が取り出したのは、櫛田の神官宮内大夫の密書であった。 「おそらくは、そのこと」 と、種直も察していたので、べつに驚く色もなかった。
「小卿。それに、覚えがあろうが」
「まさしくそれがしへあてたる書状、が、これになんの御不審を」
「文中に、お身隠しの秘授とあるは、そも、なんの意味ぞ」
「お判じにまかせまする」
「筑紫の郷党どもとしめし合わせ、主上のおん身を、奪い奉らんとする
謀
(
はかり
)
であろうが」
「おことばじりを取るには似たれど、主上を奪い奉るとは、余りに
下種
(
げす
)
な御推量かと存ぜられる。
筑紫人
(
つくしびと
)
たちのひそかな願いは、栄花にあらず、天下の権にも候わず、あわれ、おん八ツの
帝
(
みかど
)
と、おいたわしき
寡婦
(
かふ
)
の女院を、ここの
修羅
(
しゅら
)
より救いまいらせ、いずこなりと修羅なき世界に、せめて安けき御余生をお過ごしあらばという憂いのほかのものではおざらぬ」
「それ見たか」 ── と宗盛は、いきなり指をつき出して、種直の顔を指差しながら、
「いわじとそつつ、小卿が、みずから泥を吐きつるわ。まだ、源氏の船影も見ぬうちに、この小卿めは、平家の負け戦を決めておるのじゃ。さすれば、いかなる
企
(
たくら
)
みを腹の底に持ちおるや知れたものではない」
ようやく、彼は持ち前の、体揺るぎをして、その声も、
甲高
(
かんだか
)
になった。
「かかる者を、
獅子
(
しし
)
獅子
(
しし
)
身中の虫とはいうぞ。内より平家を崩そうと企む憎いやつ。一門浮沈の合戦を前に控えていおるおりもおりよ。きっと、極罪に処して、軍兵どもの見せしめにせねばならぬ」
すでにその処分も決められていたのであろう。彼の
怒喝
(
どかつ
)
をあいずに、教経の部下が、一せいにみだれ起って、種直の身を囲み、うむを言わさず
縄目
(
なわめ
)
にかけようとした。
が、騒然たる床ひびきを破って、同時に、全く違う
峻厳
(
しゅんげん
)
な気のこもった別人の
一喝
(
いっかつ
)
もどこかでしていた。── その声の主は、列座のうちでなく、かなたの廊の口に突っ立って、二つの巨大な眼でこの場を
睨
(
にら
)
むがごとく見ていたのであった。
著:吉川 英治 発行所:株式会社講談社 ヨリ
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