〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/28 (月) つく こう はく (一)

小松資盛は、夜半を過ぎたころ、火ノ山から駒を引っ返していた。
自身、彦島を出て、赤間ヶ関の守りを見、また、火ノ山から豊浦とよら 方面の情勢を確かめて、ひとまず引っ返して来たのである。
いずれ、源氏方も、その水軍と併行的に、陸上隊を先駆させて、まず沿岸の要地を ろうとして来るであろう。
という作戦は、極めて定石的である。しかし、いかに奇略な大将がいても、陸地に足場を持たない船隊だけの海戦などは成り立たない、行いうるはずがない。
大小すべて木造船なのだ、動力といっては風力と櫓楫ろかじ だけである。船数が多ければ多いほど、陸地への依存もその必要度を大きくする。
で、当然、平家方にしても、陸上の備えを欠いてはいない。
けれど、義経軍だけが、防禦の対象ではなかった。九州の一端には、三河守範頼の大軍もいることだった。かなりな兵力はそれの抑えにも かれている。
が、船上兵力と、彦島の守りは、これを手薄にするわけにはゆかなかった。当然、そのうえでの陸上の計であった。── 彦島口の小門、伊崎、また赤間ヶ関の辻々から、火ノ山、秋根、豊浦とよら へかけてまで、百騎、二百騎ずつ小部隊を各所に派して、その固めとしていたのである。しかし、余りに地域は広く、分散のかたちにもなり、勢い防禦線の薄さとなったのは、なんともやむを得なかった。
「── 資盛、火ノ山より、ただ今、駈け戻りました。黄門どにには、お眼覚めでございましょうや」
もう夜明け近かったが、宵の約束もあったので、資盛は彦島へ戻るとすぐ、知盛の陣屋へ来て、内の兵へ告げた。
知盛は、眠っていた。もちろん、具足も解かずにである。すぐ起きて、みずから迎え、 「── お待ちしていた」 と、床几しょうぎ を対して、彼の報告に耳をかたむけた。
周防境の物見がたむろ している火ノ山で資盛が聞き集めて来たことはこうであった。
源氏の陸上隊は、さして大部隊ではない。
けれど、その中には、金子十郎、畠山重忠、鎌田正近、熊谷直実などの名も聞こえる。
彼らは、柳井津やないづ で義経とわかれ、途々、平家の郡家ぐうけ や、平家色の郷人を仮借かしゃく なく掃討しつつ、降る者は麾下きか に加えて来るという風なので、初めの小勢も、海峡の関へ近づくに従い、以外な兵力と化して来るかも知れない。
そして、それの襲来と、味方の備えとを比較して、
「ぜひもう一倍、くが の兵を増しおかねば、安心とはいえません。それも、急を要しまする」
と、資盛は、つけ加えた。
「おう、くが こそ大事だ。そこも破れなきように防ぎおかねば。・・・・だが、たれを加勢に差し向けたものか」
「厳島より馳せ下った安芸守景弘どのはいかがでしょう。父子ともに、それがしの手の小瀬戸の柵におりますれば」
「む、あの組は、六百よな」
「そうです。御総領や能登どのの下には、屋島から移った将士がそのまま、あまた控えておりますが、 内大臣おおい殿との と御談合のうえならでは、それの移動はかないますまい。とこうする間に、半日過ぎ、一日過ぎと相なっては」
「いかにも、機ははず せぬ」
知盛は、意を決した。
「── では、景弘父子へ、赤間ヶ関の固めに移れと、和殿から令を伝えてくれまいか」
「うけたまわりました」
資盛は、すぐ立ち帰った。
すると途中、何を感じたか、まもなくまた、彼の姿は、元の柵門の外へ返って来て、
「黄門どの、今暁の島の内、ただごととも思われませぬ。── 筑紫の党から、離反が出たとか、いや喧嘩けんか にすぎぬとか、諸陣にていいさわ いでおる様子。いあかなる間違いか、人をやって、おただ しあってはいかが」
と、大声で内へ知らせた。そして彼自身は、小瀬戸の方へ、そのまま馬を飛ばして去った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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