おそらく彼女は、途々
も 「なんの召しか?」 を恐れつづけ、そして、屋島で受けなかった成敗を、こよいこそ、果たされるのかも知れないと、死し
の淵ふち へ歩む思いだったに違いない。 が、仮屋の幕とばり
には、そんな死の匂いもなかった。やがて出て来たのは、宗盛一人で、郎党も遠ざけ、 「宵のころ、三名の者が、尼御所へ伺い、しめやかに密談していたことを知っていよう。知らぬとはいわさぬ。そなたは二位どののお側におかれ、わけて屋島以来は、一きわ、お目をかけられている者」 という案外な訊たず
ね事ごと であった。 胸撫で下ろした喜びの余りに、さくらノ局は、いわいでもがなのことまでしゃべった。 知盛、資盛、原田種直の三名に、女院までが加わって密談のあったことは、彼女も知っていたが、どんな話が行われたかは、もとよりそこにいた者以外、知るよしもない。 けれど、三名が帰った後の様や、尼と女院とは、重ねてその後で、何か話したか否かなど、宗盛の訊くにまかせて、彼女はためらいなくなんでも答えた。 女特有な饒舌じょうぜつ
のなかに、宗盛は、求めていた何かを、、確かめえたものとみえる。 「よし・・・・・」 と、突然質問を打ち切って、にゅっと、にぶい笑いを見せた。 そして、ぶよぶよした顔の肉や瞼の皮に、微かな痙攣けいれん
さえもって、 「さくらノ御ご
」 と、息をつめ、 「そなたの一命は助けてやろう。かつての罪も忘れてやる。その代わりにだ・・・・。二位どののお眠りを見とどけて、わしの命じることをし遂げて来い。もし、して戻らねば、再び四郎兵衛を向けて、刺し殺すぞ。よいか、早くして参れ」 と、彼女を、外へ放してやった。 それからの彼女は、半ば自分を失っていた。尼御所へ帰り、尼あま
ノ公きみ の眠りをうかがって、昼の居間へ忍んで入った。そして尼の手筥てばこ
から、一書を持ち出し、ふたたび、宗盛の許へ、走り戻って来たのである。 「宗盛は、待っていた。 猟人が猟犬のくわえて来た物を見たときのよな彼だった。さくらノ局の手から、一書を受け取るやいな、かがり火の下へ寄って、 「・・・・これだ。・・・・案にたがわず」 自分の猜疑さいぎ
が当たっていた満足さを眼にたぎらせ、仔細しさい
にそれを読み出した。 それは、櫛田くしだ
の神官、祝部はふりべの 宮内大夫が、博多、大宰府などの与党と計って、同郷の大将原田種直へ寄せてきた例の書状であった。 書中には
“お身隠しの秘法” とか “秘授” とかいう隠語をもっていってあるが、その意味は、孤立の陣から幼帝を救出して、九州の山か海の極みへ、蒙塵もうじん
を仰ごうという献策にあることは、宗盛にも、すぐ読み取れた。 「よういたした。さくらノ御ご
。褒美には、約束どおり一命を援けてとらす。・・・・四郎兵衛、四郎兵衛」 手ばやく彼はその一書を鎧よろい
下着の深くへ収めながら、幕とばり
の蔭へ向かって叫んだ。 そして、四郎兵衛景経の顔へ、 「この女を、小舟に乗せ、東の小さい名なし島へ、捨てて来い」 と、いいつけた。 四郎兵衛は、怪しんで。 「名なし島とは、あの漁夫の小屋一つしかない、船島のことでございまするか」 「そうだ、かしこは先に、二股者ふたまたもの
の時忠どの父子も送り込んである。無用な人間の捨て場には恰好かっこう
な離れ小島であろうが。── この女も、まことは、斬って諸人の見せしめに示したいところだが、今宵のことに免じて、まずは、人捨て場に捨ててやるのだ。もう尼御所へ帰してはならぬ。夜のうちに、捨ててまいれ」 「心得まいた。・・・・では、さくらノ御」 四郎兵衛は、彼女の側へ寄って、むずと、腕を取って引っ立てた。何か口走って、もがきをやめぬ彼女であったが、宗盛の姿は、いつの間にか、もう彼女の前にはいなかった。
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