〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/26 (土) にょう ぼうさく (二)

ところで、その晩は、三月二十日の宵ごろであったが、さくらノ局は、
内大臣おおい殿との のお召しです、ちょっと、そこまでおひろ いください」
という迎えをうけて、女房の柵から連れ出されていた。
彼女は、迎えの者を見たせつな、さっと顔色を失った。 内大臣おおい殿との と聞いたからである。
わななきながら、彼女は 「・・・・こんな夜陰に」 と、渋って見せ 「あまきみ に、お伺い申さいでは?」 と、いい逃げようとしたが、使いに来た飛騨ひだの 四郎兵衛しろうびょうえ は、
「それには及びませぬ。急いでとの、おいいつけじゃ。お短気なあの殿のこと。おん身化粧などはそのままでよろしい。被衣かずき でも召されて、すぐおいであれ」
と、待ったなしの催促だった。
ぜひなく、被衣をかずいて、彼女は、四郎兵衛景経とその郎党たちについて行った。生きたそらもない影であった。
かつて、紀州にいたころは、湛増法印たんぞうほういん寵愛ちょうあい と、周囲の力をかさにきて、その才気と勝気を誇っていた彼女も、今は窈窕ようちょう の美も意気も、みじめなまでに、やつれていた。
── 古いことわざ にある “女サカ シウシテ牛売リ損フ” というあの言葉通りな彼女であった。
余りに、自分の美貌びぼう と才にたの むところの多かった彼女だけに、見事、湛増から逆な打っちゃりをくっていたと分かったときに気崩れは、はたの見る眼も気の毒なほどだった。一夜に色気も せ、女らしさの地肌もそれからはすさ びていた。
── 無理はない。平家へ味方しようと彼女へ堅く誓った湛増は、その田辺水軍をあげて、源氏方の一翼として屋島沖へあらわれた。しかも、その屋島では、一門大勢の中で、彼女は、さんざん内大臣おおい殿との からののしりはずかし められた。── もしあのおり、二位ノ尼が、見るに見かねて、かば ってくれなかったら、宗盛のため、成敗されたか、海中へ突き落とされて、今日の命は、とうになかったかもわからない。
で、それからというもの、彼女は、宗盛のあの顔が、まぶた について離れなかった。御総領とか、内大臣の殿とか、ひとの口端くちは に聞くだけでも、はだ に恐怖がはった ── まして今宵はその人の乳人子めのとご たる四郎兵衛が、直々じきじき 迎に来たのである。陣館じんやかた までの暗い小道を行く被衣が、人知れずわなないたのも、無理はなかった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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