〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/26 (土) にょう ぼうさく (一)

尼御所の建物に隣して、かなり広い地域にわたる女房のさく とよばれる一劃いっかく もあった。
みかどと女院の側近くに仕える典侍から雑仕女ぞうしめ までの、女人ばかりが一かたまりにおかれていた。また一門の幼い姫君やら上臈じょうろう や各大将の北ノ方なども、漁夫の家にもひとしい板小屋ながらおのおのむね をべつに住んでおり、それぞれつぼね 長屋や女童めのわらべ をかかえている・── いわば敵に一矢を射る戦力すらない者ばかりがいる待避の柵といってよい。
夜々の暗い潮鳴りは、ここの柵をも仮借かしゃく なく吹きめぐった。そして 「── 戦近し」 とうしお は告げ、 「こわ らしい坂東男ばんどうおとこ の水軍が、はや周防灘まで来ているぞ」 と、気が気でないものの如く、女房小屋のひさし を打って教えているようであった。
けれど、ここの一劃いっかく だけは、浦々の武者が揺れ騒ぐ夜も、しいんとしていた。── おりに、 のみ児の泣き声がどこかでするほか、灯影のもつれもつつしんで、ひっそりしたままだった。おそらく、ここが悲鳴と狂乱に落ちる日は、彦島最後のときであろう。それほど、彼女たちは、眼の前の運命に無力であった。霹靂へきれき の下にただうつ伏しているときの観念にも似て、何もかもただ天命視していた。
八歳のみかど、二十九でしかないお若い国母も、ここにおいでなのだ。彼女らはそう思ってじっと生命いのちおび えに耐えあっている。けれど夜更けて泣く嬰児あかご の声を聞くとたまらなくなって、どこの灯影も人影もすすり泣いた。そして、 「なんと罪深いことであろう。いっそ産まぬものならば・・・・」 と、みな思った。
こういうことになり果てようとはたれも考えていなかったので、都落ちのおり、平家の大将たちは、あらかた妻子を連れ出したし、二位ノ尼にしても、めい やら孫姫などの、可愛い者たちほど、もれなく連れていたのである。自然、以後三年間には、一門の妻室に嬰児あかご も産まれ、もうはって立つ年ごろの子もいたし、まだ乳を離れぬ生後わずかな子もいたのだった。
国母建礼門院と、二位ノ尼はべつにして、いったい、平家の女房群とは、どういう人びとであったろうか。── 一ノ谷の合戦直後、良人おっと通盛みちもり の戦死を追って、妊婦みおも でもあったのに、船から入水して果てた小宰相ノ局などは、そのことで、語り草に残っているが、多くはほとんど知れていない。
今、ここの女房の柵にある人びとでも、ほぼ分かっているのは、

ろう ノ御方 (清盛のむすめ 。花山院殿の室)
治部卿ノ局 (知盛の妻の妹)
大納言佐だいなごんのすけつぼね (中将重衡の妻)
按察あぜちつぼね (不明)
そつつぼね (平大納言時忠の妻)
きた政所まんどころ (摂政基実に嫁したことのある女性)
ぐらいなものである。
しかし、名は知れずとも、知盛にも幼い姫があったし、門脇かどわき どの (教盛) にも二人の妙齢な息女がある。きた政所まんどころ や花山院殿の奥方のように、いちどとつ いだ先を去って、一門と運命を供にして来た女性も少なくない。また典侍、命婦みょうぶ 以下の女官には、侍大将のむすめや姻戚いんせき の女子も多く、縁は遠いが一門のつながりではあるさくらノ局とか、また、かの玉虫のような、一門の端でもない、たれにむすめとも知れない、孤独な淋しい女性も含まれていたことであろう。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next