「いっそ、たれかれなく、女房たちも、女房船にあって、合戦の果てを見とどけさせておいてはどうかの。もし、平家敗れなば、女房たりとも、生き残ろうとする者は一人もあるまい。平家の女性
たるほこりを守って、東国源氏の雑人ぞうにん
ばらに、おめおめ操をけがさすような女性はここにはおらぬはずだ。とすれば、陸くが
におくも、海にいるも、おなじではないか」 「・・・・いずれ、そのこともまた、御陣屋に伺って」 知盛は、立ち止まって、それを別れのあいさつにした。ちょうど、道の辻に、来ていたからである。 「そうだの、女房たちの、女房たちの、始末については、なおよく、話しおうておきたい。あすにでも、見えてくれるか」 「伺いまする」 やっと、宗盛は、自身の陣門の方へ。そして、三人も、道を別れかけた時である。 迅はや
い馬蹄ばてい の音が、かなたから近づいて来た。 ──
騎馬は、やみを割って、その影を、大きく近づけて来るやいな、 「それに新三位の卿きみ
が、おられましょうや」 と、言った。 資盛が、 「おう、ここに」 と、大声で答いら
えると、跳び降りた武者は、彼の前にひざまずいて 「── たった今、小瀬戸の柵へ、火ノ山の物見の組から、急を報じて参りましたが」 と、源氏の陸上隊が、はや近くにあることを告げた。 いずれ、つぎつぎに、早馬がはいるであろうが、その第一報によれば、豊浦とようら
(長門・府中) には、今日の昼間からもう、兵火の煙が立ち昇っているという。 むろん平家方にも、陸兵の備えはある。 豊浦にも、幾十騎か、派してあった。 それとの、小合戦にちがいない。 「して、源氏の水軍は」 「水軍の動きは、まだ定かにつかめませぬ」 「よし」
と、資盛は、知盛をかえりみて 「── 自身、赤間ヶ関の東まで、駒こま
をとばして、見てまいりまする。夜明けまでには戻って、もいちど、御陣屋にて、お目にかかりましょうず」 彼は、部下の乗って来た駒へ乗り代って、小瀬戸の方へ、急いで行った。 いったん別れかけた足を返して、宗盛もまだ、そこに佇たたず
んでいたのである。知盛と、顔を見あわせ、そして、何も言わずに、別れ直した。 来るものが来ただけである。 一ノ谷や屋島のごとき、急襲ではない。敵も、正々堂々、紛まぎ
れをとらず、西下して来たのである。平家もこんどは、不意打などとは叫べまい。備えと覚悟をみつ日は、ありすぎるほどあったのだ。 だから、宗盛と知盛も、今さら何を驚きあうこともなかった。眼と眼だけで、おのおのの陣屋へ足を急がせたまでだった。 「四郎兵衛。ちょっと、参れ」 宗盛は、わが陣舘じんやかた
へ入ると、すぐ乳人子の飛騨四郎兵衛をよび、何事か、小声でいいつけていた。 四郎兵衛は、思いがけない 内大臣おおい
の 殿との のいいつけに眼をまろくし、 「や。さくらノ御ご
を、召し連れよとの仰せですか。かかる夜中、しかもこの期ご
に、あのような女に、なんお御用が」 いぶかし気に、宗盛の顔ばかり見て、しぐそれに、出て行こうともしなかった。 宗盛は、いら立って、 「なんでもよい。はや行って、引き連れて来い。ただし、二位どのにも、ほかの女房にも、きっと、密かにだぞ」 と、きびしい口調くちょう
で追い立てた。 四郎兵衛が急ぎ足で、そこの柵を出て行くのと、ほとんどすれちがいに、ここへも、火ノ山の物見知らせや、周防街道の味方などから、源氏の陸上隊ふぁ、駸々しんしん
と、長門の境に入って来たことを、ちりぢりながら、報じて来た。 ── 日数ひかず
で思いあわせると。 まさにその夜は、義経以下の水軍が、船所五郎ふなしょのごろう
を水先案内みずさき として、周防灘すおうなだ
の中ノ関を過ぎ、長門の府中 (長府) 沖へ近づきつつあるころだった。 |