宗盛に会うため、女院が立って行かれたあと、めったに色を動かさない知盛も、さすが、静かな胸ではないようだった。 資盛も、気づかって、 「内大臣の殿との
には、ふと、このことを御存知あって見えられしか、ゆくりなく、参られ合わせたものでしょうか」 と、ささやいた。 「ご存知のはずはない・・・・」 と、知盛は小さい声で、原田種直の顔を見て
「── 決して、お知りあるわけはないが、しかし、勘かん
のよい御方ではあるし、万が一にも、事もれては一大事、今宵のところは、さり気のう退さ
がって、お打ち合わせは、またのおりとしょうではないか」 にわかに、尼あま
ノ公へ、いとまを告げて、三名は尼御所から外へ出た。 それはすぐ宗盛も気配で知ったに違いない。前後して、彼も行宮の柵門さくもん
を辞していた。そいて後ろから、 「待たれよ。黄門どのと見るが」 と、知盛の影を呼び止めた。 ただちに、近づいて行って、宗盛はまた、 「ほう、新三位しんざんみ
どのも、御一しょか。それに原田小卿はらだのしょうきょうまで」 と、見まわして、 「めずらしい筑紫つくし
の老将など加えて、両所には、何しに尼ノ公を訪と
われしぞ」 と、なに遠慮なく、ずけずけ糺ただ
した。 知盛には、いいつくろいもすぐには出ない。資盛も上手な嘘の言える公達ではなかった。が、そこは老将の種直だけに、 「はい、かねて二位どのから、博多はかた
博多はかた の櫛田くしだ
の社へ、御立願ごりゅうがん の儀がござりましたゆえ、今日、神主祝部ほふりべ
どのから届いた神符しんぷ を、お届けに参上いたしましたところで」 と、ていよく答えた。 宗盛の耳は、受け取っていない。 彼は、知盛へ話しかけていた。何かを探ろうとするようにである。 ぜひなく、知盛は、女房船のことや、また、合戦当日には、陸上に避難させておくはずの小女房や女童めわらべ
の人員など、調べおくため、打ち合わせに ── といって逃げた。 「ほう、こも夜陰に」 と、宗盛は、もちろん、それへも信をおかない容子であったが、 「・・・・では、原田小卿とは、偶然、尼御所の内にて落ち合われしか」 と、明るくない笑いをふくんだ。そしてそのことは、まず打ち切った顔をしたが、歩み歩み、 今の一言で、思い出された。足手まといま女房女童など、ことごとく、赤間ヶ関の陸くが
へ移して戦わんとの計けい であったが、あれもどうかの。主上の玉体と賢所かしこどころ
とは、寸間も離れてはならぬもの。合戦の日たりとも、御座船の内に、お一つであらねばならぬ。従って、典侍、局の女房たちは、死すとも、女院のお側を離れまじと願うであろう。・・・・としたら、いったい、たれを陸くが
へ残し、たれを御座船の供奉ぐぶ
にゆるすか。色分けも、むずかしかろ」 連れは、黙っているので、宗盛だけの、夜道のひとりごとに似ていた。 |