〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/25 (金)  かく し の 事 (三)

宗盛に会うため、女院が立って行かれたあと、めったに色を動かさない知盛も、さすが、静かな胸ではないようだった。
資盛も、気づかって、
内大臣おおい殿との には、ふと、このことを御存知あって見えられしか、ゆくりなく、参られ合わせたものでしょうか」
と、ささやいた。
「ご存知のはずはない・・・・」 と、知盛は小さい声で、原田種直の顔を見て 「── 決して、お知りあるわけはないが、しかし、かん のよい御方ではあるし、万が一にも、事もれては一大事、今宵のところは、さり気のう退 がって、お打ち合わせは、またのおりとしょうではないか」
にわかに、あま ノ公へ、いとまを告げて、三名は尼御所から外へ出た。
それはすぐ宗盛も気配で知ったに違いない。前後して、彼も行宮の柵門さくもん を辞していた。そいて後ろから、
「待たれよ。黄門どのと見るが」
と、知盛の影を呼び止めた。
ただちに、近づいて行って、宗盛はまた、
「ほう、新三位しんざんみ どのも、御一しょか。それに原田小卿はらだのしょうきょうまで」
と、見まわして、
「めずらしい筑紫つくし の老将など加えて、両所には、何しに尼ノ公を われしぞ」
と、なに遠慮なく、ずけずけただ した。
知盛には、いいつくろいもすぐには出ない。資盛も上手な嘘の言える公達ではなかった。が、そこは老将の種直だけに、
「はい、かねて二位どのから、博多はかた 博多はかた櫛田くしだ の社へ、御立願ごりゅうがん の儀がござりましたゆえ、今日、神主祝部ほふりべ どのから届いた神符しんぷ を、お届けに参上いたしましたところで」
と、ていよく答えた。
宗盛の耳は、受け取っていない。
彼は、知盛へ話しかけていた。何かを探ろうとするようにである。
ぜひなく、知盛は、女房船のことや、また、合戦当日には、陸上に避難させておくはずの小女房や女童めわらべ の人員など、調べおくため、打ち合わせに ── といって逃げた。
「ほう、こも夜陰に」
と、宗盛は、もちろん、それへも信をおかない容子であったが、
「・・・・では、原田小卿とは、偶然、尼御所の内にて落ち合われしか」
と、明るくない笑いをふくんだ。そしてそのことは、まず打ち切った顔をしたが、歩み歩み、
今の一言で、思い出された。足手まといま女房女童など、ことごとく、赤間ヶ関のくが へ移して戦わんとのけい であったが、あれもどうかの。主上の玉体と賢所かしこどころ とは、寸間も離れてはならぬもの。合戦の日たりとも、御座船の内に、お一つであらねばならぬ。従って、典侍、局の女房たちは、死すとも、女院のお側を離れまじと願うであろう。・・・・としたら、いったい、たれをくが へ残し、たれを御座船の供奉ぐぶ にゆるすか。色分けも、むずかしかろ」
連れは、黙っているので、宗盛だけの、夜道のひとりごとに似ていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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