〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/24 (木)  かく し の 事 (二)

先ごろ、原田種直は、郎党の井手庄司を、博多ノ津へやって、櫛田くしだ 神社の神官、祝部はふりべの 宮内大夫へ、一書を送った。
── 平家の御運もめい 旦夕たんせき となった。せまる大合戦の御利運もおぼつかないように思う。
そう言外に別れを告げて、今はひとえに、神助を待つほかはない。櫛田の神、祗園ぎおん の御社へ、どうか御祈願をこめ給わりたいと、依頼しやったのである。
すると、折り返して。
祝部宮内大夫からの返書をたずさて、今日、使いの井手庄司が、返って来た。
その宮内大夫の返辞には ──

戦捷せんしょう 祈願きがん の儀は、お頼みまでもなく、櫛田、祗園ぎおん僧侶神人そうりょじにん をあげて、昼夜なくつとめている。
けれど、人為の万全も尽くしてこそ、神助じんじょ の道は開かれよう。畏れ多い思慮おもんばか りながら、万一のときは、幼帝にお身隠みかく しの秘法を授け奉って、 “筑紫つくし のみちのく” といわれる山深い奥地に、龍駕りゅうが をかくし奉るか、壱岐いき対馬つしま 、あるいは、遠い南方の島へ、永劫とこしえ に、神去りませし如く、お行方を消し奉るなどのことも、考えられぬことではない。
とまれ、われら櫛田の神人はいうをまたず、平家との由緒ゆいしょ ふかき大宰府だざいふ の住人どもや同所の天満天神の氏僧うじそう 、別当たちも、万一、蒙塵もうじん のことあらば、身命にかけて、みかどをかく まいまいらせ、お身隠しの秘法を尽くしあわんと寄り寄り秘策を語らいおうている。
── されば、ひとたび、御合戦利あらずと見給わば、その御遠謀あって、ゆめ、御非業ごひごう など急がれ給わぬよう、祈り申す。またくれぐれ、御身隠しの秘授あるを信じ、あらかじめ、万策の備えお抜かりなきように、云々しかじか

と、いう長文なもので、かつ書状の末に、極密とも断ってあった。
で、種直は 「── これは、わが一存でも」 と、知盛の許へ、計りに行った。
万一、敗戦のときは、幼帝のおん身、また、賢所かしこどころ の神器など、いかにすべきかは、すでに議定ぎじょう ずみのことであった。
過ぐる月蝕の夜の、一門大集議の場で、決まっているのだ。
事が事なので、それについただけは、 「いかなる者へも、余人には決して口外あるばからず」 という神文の誓いも、その場で交しあったことなのである。
だから、その一項だけは、たれも知らない。── 当夜、議定の席にいた者以外、知る者はなかった。
しかし、当夜の議定と、種直の献策とは、食い合わないものであったのではあるまいか。知盛は 「・・・・いかにせん?」 と迷うらしい容子であった。
総領宗盛が、能登守教経を、無二の者としているように、知盛にも、何かと、心をうちあけて計りあう年下の公達があった。
島口の小瀬戸のさく を守っている新三位しんざんみの 中将資盛だった。
迎にやると、資盛はすぐ、知盛の陣屋に見えた。
彼とも計り、自身の熟慮も尽くしたうえ、知盛は 「総領の君に、ひそ か事を企むはよくないが、兄に申せば、一蹴いっしゅう して、怒り給うにちがいない」 と考えられたが、しかし 「原田種直もまた、二心を抱く者と疑われ、大理どの (時忠) 同様、獄屋の難をうくるであろう。いずれにせよ、みかどのおん大事。一に女院のおん胸と、あまきみ のお胸に問いまいらすほかあるまい」 と思い極めて、種直、資盛を同道して、そっと、尼御所へ伺ったものだった。
── が、二位ノ尼は、種直の献策を聞いても、それには、なんの表情も動かさなかった。
彼女は、人知れず、胸をきめている。いうならば、彼女はもう一門の子や孫の流亡の果てを見るのに疲れた。はやく死んで、亡夫清盛のそばへ行きたいのが、今は彼女に残されたただ一つの愉しみですらあった。
けれど尼も 「それは、自分一つのこと、身ままな願い」 と知っている。
で、多くは言わず 「みかど御自身は、まだ何事もわきまえてはおわさぬ。おん母の御心定めが、第一であろう。まず女院のお胸に問うて給われ とのみ言った。
やがて、ろうつぼね が、女院をお迎えして来た。そして全く水入らずの密談が進められていたのである。
── すると、おりわるく、行宮あんぐう の方へ、宗盛が訪ねて来たとの知らせであった。やむなく、女院は中座して、そこを立った。宗盛に会ったのである、── まさに邪推でなく、宗盛の推察は、当っていたわけだった。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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