〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/22 (火)  かく し の 事 (一)

その宵、尼御所をそっと訪うていたのは、権中納言知盛と、尼の孫資盛 (故・重盛の次男) とであり、ほかにもう一人、白髯はくぜん の老将を伴って来たのである。
老将は、筑紫つくし 岩戸の豪族ごうぞく原田小卿はらだのしょうきょう種直だった。
種直は、九州平氏の重鎮であった。
小卿とは、太宰少弐だざいのしょうに の別名である。故清盛が、博多はかた を中心に、宋船そうせん との交易をさかんにしていた当所から、種直は、六波羅の代務をそこで っていた。
だから彼と平家との間は、一朝一夕のものではない。
かつて、清盛が病んだ時、はるばる博多ノ津から、宋医そうい を連れて、都へ見舞いに上がったのも、彼であった。
また、寿永二年の秋ごろ。
流亡の平家が、みかどを奉じて、筑紫つくし 筑紫つくし のみちのくを転々としたときも、一時、種直の岩戸ノたち を、安徳帝の行宮あんぐう としていたことがある。
── それもつかのま、緒方党そのほかの九州源氏の来襲で、平家はふたたび、海上へ漂い で、豊前からやがて屋島へ、のがれたのだった。
「・・・・思えば」
と、種直は、尼の姿を見ると、すぐ、まぶた に老涙をもって、
「故入道殿にも、さだめし、頼みがいなき原田かなと、地下でお腹立ちでございましょう。緒方、戸次べつき 、菊池など、筑紫の諸党の多くが、源氏へ傾いたのも、みなこの種直の力不足がいたすところ」
と、九州の現状の非を、自分の責めかのように びた。
「なんの、おもと の落度ではない。お許の変わらぬお心は、人も知ること。 きわが良人つま とて、なんぼう、うれしゅう思し召しておられるかしれませぬ」
尼は、なぐさめ顔に言う。
とはいえ、その九州一円も、ほとんど敵地と変わり、ここの寸土に、死守の一戦を けるしかないことを思うと、尼のみならず、みな えぬ沈黙に落ちた。
「少弐どの。さっそく、其許そこもと の御所存を、あまきみ へ申し上げてみてはどうか。・・・・そのうえにて、われらの愚存も申そうほどに」
知盛に、そう促されて、
「はっ」 と、種直は、あらたまった。そして、ふところから、一書を取り出して、うやうやしく、尼の前にさしおいた。
その書状と、種直の言を綜合すると、内々、尼へそっと計りに来た問題は、次のようなことであった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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