〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/22 (火) か た み 送 り (三)

宗盛は、弱々となたたく灯のそばに、彼女の余りにも清げな黒髪や肌の白さを見て、ここが恐ろしい死の戦場を支度しつつある所かと、ふっと、疑われた。そして、それにはなんのかかわりもなく、この妹の年齢が数えられた。肩の せこそ目につくが、久しい流亡にも、年にも、少しも削り取られない麗瓏れいろう の美に、かえって、不愍ふびん さが増すのであった。
「いや何、ほかでもありませぬが」
宗徳は、明朝、かたみ送りの使いを、密かに都へ出す旨を告げて、
「もし、都のたれかへ、名残の御文をおつかわし遊ばすなれば、ともにその使いへ、秘め持たせてつかわしましょう。先帝高倉の君の御陵ごりょう のみ寺清閑寺へ、永代御供養の料に添えて、もし、おん黒髪の端など納められたい御心なれば、それも、取り計らわせまするが」
「・・・・はい」
女院は、素直に、うなずかれたかのようであったが、じつは微かに、お顔を振っていたのである。
「わざわざのお心づかい、うれしゅうございますが、もうそれらのことも仕すませて、都の空へは、何の心残りもありませぬ」
「ほう、では、すでに都へたれぞを、おつかわしになりましたか」
「小松の新三位しんざんみ どの (資盛) が、かねていい交わしてある都の女房へ、今生こんじょう の別れぞと、家の子に、かたみを持たせ、密かに都へ放ちやると聞きましたゆえ」
「小松どのがいい交わした女房といえば、以前、女院の許に仕えていた右京大夫うきょうのたいふつぼね ではありませぬか」
「そうです、右京大夫と資盛のきみ とは、人もうらやむほどな仲でした。それに、この身の側に仕えていた小女房ですゆえ、よう気心も知れておる」
「ではお心じたくも、今は早やおすましよの」
「ええ、ひたすら、御仏のみこころにまかせて、その日を待つばかりでございまする」
「よいお覚悟」
宗盛は、そう言ったが、どこか手持ちぶさたであった。
せっかくの好意が、無駄であったばかりでなく、彼女のどこかに、その覚悟とは似つかわしくない、よそよそしさが、見えたからである。こうして、ひとつ夜を、ひとつ陣にいても、いつ敵が来るか分からない。そしていつこのまま会えない修羅しゅら の終わりを告げるかも知れないのだ。もっと、つきつめたまゆ と哀別の眸が、妹の容顔かんばせ を濡らしていそうなものだと思う。
彼は疑った。彼特有な嗅覚きゅうかく が、やがて、見つけたといってよい。
の外の、長い板橋をへだてた坪向こうに、もう一棟ひとむね仮殿かりどの がある、二位ノ尼の宿所だった。そこの灯に、何か密やかな人影が見えたのだった。
「・・・・?」
いま、女院との話に出た資盛らしい影があるし、知盛もいるらしい。 「・・・・ははあ」 と、彼はうなずいた。
女院も今まで、その席にいたのであろうが、自分の訪れに、座を抜けてここへ出て来られたに違いない。
「それにしても、この宗盛をのぞいて、たれとたれが、あまきみ を囲んで、何を語ろうていることぞ」
宗盛は、むっと、不満をいだいた。── そう見直せば、どこかよそよそしげな女院の御容子も、謎は解ける。尼御所の人影を、女院は自分へはばか っておられるのだ。と宗盛は、解釈した。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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