〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/22 (火) か た み 送 り (二)

ここの死地から、密かに、都へ使いを落としてやるには、よほど心きいた者をして、巧みに変装させてやらねばならない。
それも、なかなかな難事である、宗盛は、乳人子めのとご (乳兄弟) の飛騨四郎兵衛景経と相談して、弦巻つるまきの 一八という老爺ろうや を、その使いに選んだ。
一八はもともと、弓師であって、本来の武者ではない。ただ、親の代から六波羅の御用をうけたまわ ってきた恩顧から弓繕ゆみつころ いの一人として陣中にいたのである。頓知とんち け、片目のの容貌ようぼう など、至極な密使と、これを都へやることになった。
「待て待て四郎兵衛、せっかく、さほど恰好な男を見つけたなら、われ一人の文苞ふみづと のみでなく、余人のかたみ送りをも、ともに託してやっても、労はおなじことぞ。── たとえば、女院におかれても、さだめし、さいごのお便りをしたい御方も都にはあるであろう。なにかおことづてはないか、伺うてしん ぜよう。── 一八の出発は、明朝まで、まず待たせておけ」
宗盛は、景経にいいおいて、その夜、ほど遠くない行宮あんぐう まで、歩いて行った。
途々みちみち 、彼は幾つもの、兵の野営や仮屋を見かけた。
各所の兵たちはかがりの下や小さい焚火たきび をかこんで、ある群は兵糧ひょうろう をとり、ある群は、針など持って、袴や肌着のほころびを縫い、またある者は、たどたどしい手つきで、文などを書いていた。
「まことに、兵のたむろ も、これまでのようではないのう。なんと、むつ まじげな・・・・」
かねて、陣見まわりから、聞いてもいたが、かほどまでとは、眼で見ぬうちは思えなかった。兵糧時の、あの餓鬼騒ぎも今は聞こえない。いたわ りあい、慰めあって、まるで一家の団欒だんらん を見るかのような情景もある。
思うに、彼らの端までが、 「長くもないこの世」 と、今は観念の底にいるのであるまいか。と同時に、甲乙お互いに見合う顔は、敵以外、憎悪しあう顔はもうどこにもない。みなあわ れな死地の仲間だった。あと幾日でも、生きている間だけは、せめて仲よく、真情と真情とをそそぎあって生きなければ ── と努めあっている様子が、はからずも、平和な日ごろでさえもまれな仲睦なかむつ まじい共同の暮らしを描き出していたのだった。
また、こんなてい も見かけた。宗盛の歩んで行く小暗い道ばたで、五、六人の雑兵が、青竹を っていた。そしてそれをまた、節短ふしみじかのこぎり で引いているので、
「何にするのか?」
と、宗盛が、郎党にたず ねさせると、彼らは、口をそろえて、
「されば、いよいよ大合戦の日も近づき申しましたゆえ、われら雑兵も、いずれは、海の藻屑もくず か、矢さきの犠牲にえ ぞと、覚悟を申し合わせまいてござりまする、で、じつは」
と、尺ほどに引いた青竹を示しながら、なお、こう答えた。
「── 日ごろ、信心のある者は、名号みょうごう 、経文などをしたた めて、後生ごしょう の願いとし、また、家の妻子や老いたる親どもへ、末期まつご の便りを届けたやと、夢にまで念じるものは、夢恃ゆめだの もよりはましならんと、おのおの、文を書いて、青竹の筒に封じ込め、それをば、海中に投じるのでございまする。── 浪よ風よ、心あらば、千に一ツでも、この青竹の筒を、都に近き磯へ漂い寄せよ ── と昨日今日、みなして、波間へ投げ入れては、祈っているのでございました」
これを聞いて、宗盛もさすが胸がいた んだ。途々ひそかに総大将たる身をかえりみて、自分に恥じた。
行宮あんぐう柵門さくもん は暗かった。── 衛士えじ の大将伊賀平内いがのへいない 左衛門さえもん に、
「みかどは」
と、宗盛が、直々じきじき に問うと、
「はや御寝ぎょし かと存じ上げられます」
と、彼はいう。
「女院にも、御寝ぎょし にか」
「いえ、つい今しがたまで、そつつぼね を召されて、しめやかに、何かおん物語らしゅう拝されましたが」
「ならば、おとの うてくれい。宗盛が参りしと」
行宮あんぐう の柵はもちろん、女院のたち も、めったな者の立ち入りは許されない。まして夜陰、まして男性。
けれど、宗盛は、べつである。建礼門院にとっては兄君なのだ。
こいの彼の訪れも、妹へ対する兄に気持が半ばであった。やがて、局のうちでは、兄と妹とが ── いや座は、国母として、女院の方が上座で ── 静かに向かい合っていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next