〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/21 (月) か た み 送 り (一)

とにかく、一門もれなくここに って、一つの島に運命を託しあった人びとは、一日刻みに迫る “恐怖の日” を予知しながら、おのおの、最期さいご の心支度をいそぐほか、何を思い煩っても、今は、無駄なことが分かっていた。── 一蓮托生いちれんたくしょう ── それ以外な希求ききゅう の対象はこの彦しまにはないものと雑兵から女童めわらべ にまで観念されて来た。
口に出さないまでも、それが一門男女のなかに濃厚な覚悟の姿になって見得て来たのは、なんといっても、月食十五夜の、大集議の直後からであった。
議事一々、平家にとっては、悲観的なものでしかなく、逆に源氏の優勢は、ほぼ確実とみられたその場の上将たちの口吻こうふん が、すべて全軍へもれていたのである。
しかし、今さら動揺をきたすようなきざ しは、どこにも見えない。平家を見限って脱落するほどな者は、これまでの間に脱落していたし、四面楚歌の島のかたちは、必然な背水はいすい の陣となってい、人びとのあきらめと結束を、自然の制約下に、いやおうなく固めさせていた。
だがなお、宗盛はそれに安心しきれなかった。 「もし、時忠父子の如き二心の者を、他にも生じては」 と、味方をもって味方を監視するの風であった。たえず諸陣の間を、腹心の将に、見まわらせた。
いまも、兵部少輔ひょうぶのしょうゆ 尹明まさあきら は、彼の前に、島内一巡の報告をもって、ひざまずいていた。
尹明の眼で見たところによると ── 「くが といわず、船といわず、士気は、いやがうえにもあがっております、わけてここいよいよ、大合戦の日近しと相なって」 と、すこぶるたのもしげに言うのであった。
宗盛は疑い深いたちなので、陣見まわりも一将のみにまか していない。昼の巡視、夜の巡視、人を代えて、幾人もの将から聞きとっているのである。
が、この数日までに、全陣の士気は、とみに粛然しゅくぜん とし、一心同体のすがたを如実にしているとは、たれの言にも、一致していた。
「・・・・いや、そうか。さすが、ここまで、移り気も持たず、生死一つの誓いを立て通して来た譜代ふだい の将士よ。さもあろうず、さもありなん」
宗盛も、全幅的に、それの不安は、もう抱いていない。
むしろまだ、彼に見届けきれていないのは、彼自身の、死の支度であった。── 容易に、自分の中では整理のつかない気持が、他の者への疑惑にも、つながっていたのである。
「のう、兵部」
「は」
「おそらく、過ぐる夜の大集議の末、この長門にて、源氏と勝敗を決すべしと、一定いちじょう事極こときわ まった議を知って、兵どもも、覚悟のていとは察しらるるが、それにせよ、一門の下数千の大軍が、かばかり見事に、結びおうて、揺るぎもない様を示そうとは、思われなんだぞ。・・・・屋島でも見られぬことであった。── こはそも、何によるものか」
「ひとえに、御威徳でございましょう」
「この宗盛が、屋島より転じてこれへ加わったことは、それほど兵どもへ大きな力を与えておるということか」
もとより、第一にそれです。がなた、御舎弟黄門こうもんきみ (知盛) のおさしずや、下々へのおいたわりも、恩顧の将士らより深く慕われておるやに思われまする」
「戦は手馴れだが、むっそりと、常には人ずきの悪い黄門どのが、さまで人に慕われおるとは、これも、この になって知った意外なことの一つではあったよ」
「されば、お優しき半面を、いつか人も知るのでしょう。昨夜はひとりお引籠ひきこも りあって、北ノ方や、幼い和子わこ たち、都に残された有縁うえん の方々にまで、永別のおふみ をしたためられ、それを老いたる郎党に持たせて、けさ密かに、京へ られたとか、もれ伺いました」
「何、何? ・・・・。密かに都の空へ、永別の文や、かたみを、持たせてやったと申すか。・・・・では、それまでに」
宗盛も、にわかに思い立ったものと見える。
その日の小半日、彼も、陣館じんやかた一簾いちれん に閉じ籠って、あれこれ、思い出される都の知己へ、今生最後の別れの便りをしたためた。
ある文へは、小袖こそで端布はぎ れや、こうがい を巻き込み、ある文へは、髪の毛を切って、かたみに封じた。
彼は、都落ちの日、妻子眷族けんぞく を、みなともな った。みかどとおない年の、今年八歳の末子まで連れている。近親すべて都には残していない。でも密かに通っていた女性やら法縁の人びともあったであろう。これぎりの便りと思えば、やはりあの顔この君、名残の惜しまれる人は数限りもなくあった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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