〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/21 (月)   きょく (三)

景弘の復命は、まず知盛を、ほっとさせた。
「── 大理どのの仰せには、せっかく、お迎えを賜われど、いかんせん、この病体、御一同へ悪しからぬyぽう、わかて、知盛卿へは、くれぐれ、詫びておいてくれるようにとの、御意ぎょい にございました」
場所がら、彼の言葉は、公式的な口上だった。
それも、事実を告げたものではない。景弘の考えで、ここの集議を刺戟しない程度の報告をしておいたに過ぎないのである。
「・・・・そうか」
知盛は、らんとした眼で、景弘の方を見た。そしてあとは口のうちで 「ぜひもない、ぜひもない」 と、二度ばかりつぶやいた。
こうして、その瞬間の、微妙な空気のうちに、ふと、露呈されていやものは、およそ、平大納言時忠の逼塞ひっそく を見ている人びとの間に、ふたつの見解があるらしいことだった。
正しく、時忠の心事を察して、ひそかな同感を寄せている者と、全然、時忠をただ二心ある曲人くせびと と見、宗盛や教経の処置にさえ、むしろ 「手ぬるい」 と思っている者たちとの、二派であった。
しかし、そのどっちにせよ、時忠の問題を、ここで、おくびにも出しては悪いことを、たれもが知っていた。── もし今宵、時忠が、迎にまかせて、この席へ現れたら、どうなるかとさえ ── じつは恟々きょうきょうおそ れあやぶんでいたのである。
まずはと、あらかたの顔は、ほっとした色を見せて、
「やはり、まだよほど、おわるいらいいのう」
「お病なれば、お横になったまま、集議の場におわすもよろしからんとまで、黄門」どのにも、切なるおすすめのようであったが」
「なおかつ、ここへお渡りあらぬようでは」
などと、たれともないささやきにまぎ れて、それはそのまま、聞き流され、次の議題にはいっていた。
寡黙かもく な知盛は、それからは、一そう口重たげであった。
といって、姿にも心にも、寸毫すんごう の崩れは見えない。天命を甘受し、この世の血縁たちとも和して、生涯しょうがい の結びをあと うかぎり遺漏なく美しくすがすがとやってのけたいという願いだけにいっぱいな姿なのである。自然、それはたれの眼にも、頼もしげに見え、とりわけあまきみ は 「・・・・やはり、総領どのとは、おのずと、どこか違う。まさしく入道どのが血をひかれ給える御四男よ」 と、 の内から見るのであった。
やがて、評議は閉じられた。ひとまず大綱たいこう の決定だけにとどめ、あとは。敵の出方を待とう。そうなったものである。諸大将もぞろぞろ立ち、別の座で、賜酒ししゅ となった。
たれやらが、淋しいと言い出した。 「── 淋しい」 ふと、それを一人が口にもらすと、大勢の肉体すべてが一つのもののように悴然とおなじ心の傷口へ悲風を覚えた。たまらない郷愁と、死の恐れに襲われてくる。
平家は勝つ、と信じても、個々の生はたのめない。
「淋しくば、歌おうよ。笛を吹け、わしは琵琶びわ を持とう。誰ぞ、琴に向かう女性にょしょう はないか」
管絃となった。
たの しむも管絃、泣くも管絃、ここの人びとにとって、管絃はもう宗教であった。時には甘く、時にはいた み、時には昇華して達観の境に仙遊せんゆう する。
都にいた頃のそれは、月の光を惜しむばかり、命の愉しみを みしめることだったが、流浪に流浪をかさねて、明日の大敵におののく身は、忘れることが、ただ願いであった。つかのまでも、妄執もうしゅう の外にのがれたい管絃と酒であった。
── 自然、がく 音階は、極端にまで、悲調をおび、また嫋嫋じょうじょう とみだれ、べつに人間をあやつ る鬼が人間の蔭にいて、人をして吹いたりかな でさせたりしているような光景に見えてくる。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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