〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/21 (月)   きょく (二)

「ところで、源氏の船数は、ほぼどれくらいかの。黄門どの、其許そこもと の見とおしは、まず、どうじゃな?」
宗盛は、片時も黙っていない。
沈黙が続くと、満座の中に、何か、不吉な考えを忍び込ませるような重苦しいものが、降りてくる気がするのである。それが不安に見え、自分も不安にかられて来るからであった。
わかて、能登守の など、ぎらぎらと、始終、座の面々を見わたしてい、その視線が自分へ来ると、宗盛は、彼の眼に、むち を感じた。
「さ。・・・・」 と、知盛は、口重く、問者の宗盛が最も み嫌う沈黙をじっとつづけていたが、ようやくそれに答えた。
「── 源氏は、およそ八百艘に近いでしょう。昨日の我と彼の力とは、今日、明らかに逆になっておる」
「えっ。そ、そんなに多いであろうか。いずこの海を狩りたてようと、そうほかに船はばいはずだが」
「いや、どこの津々でも、隠し船は持っております。源氏弱しと見れば、加勢もせぬが、源氏強しと見、平家は落ち目と考えれば、それらの隠し船も、争って源氏に加わり、おそらく、想像以上、勢いを増しておりましょうず」
座は、暗澹あんたん となりかけた。
宗盛は、ふと、自分も暗い気持の中へすべりこみかけたが、分厚い体を一つ大きく身ゆるぎして、
「能登どの ──」 と、眸を向けかえ 「おもと は、もともと、水軍の総将、其許の考えでは、どう思うの?」
待っていたように、教経は答えた。
「戦は、数ではございませぬ。おわんや、水上の合戦では」
「む。さもあろう」
「いかに、船数のみ抱えても、海に不馴れな東国勢が、その一艘一艘を自由自在に使えようとは思われませぬ。ましてここの海門うなどしお ぐせや の烈しさもわきまえなく、ただ数を誇って来るようならば、むしろわららの望むところ。たちどころに渦潮うずしお の魔所へ追い落とし、魚腹ぎょふくほうむ り去るは、むずかしいことではありますまい」
教経が口を開くと、つねに、にじ のような気概きがい がある。
それも焼刃やきば の強がりではない。彼のは、それが真情であった。心から源氏を憎み、心から平家を死守せんとするほとばしりなのだった。だから、その白皙はくせきおもて を、ひときわ青白くし、濃い眉をあげていう悲憤の語には、りんりんたる響きがあって、ひとり宗盛といわず、多くの侍大将や公達の魂をもつかまずにおかない魅力がある。
「げにも、能登どのがいうこと、もっとも、数ではあるまい。ましてその数とて、われにも五、六百艘の船はあること。いくらの違いでもなかろうに」 と、宗盛は、片づけて ── 「海の平家ぞ。海で敗れてよいものか。したが、これへ源氏が迫って来たときは、どう撃つはかり か」
「もとより、われらも船陣を押し進め、そのおりのしお あいを利して、敵を逆潮さかしお の危地へ追い込むことを、第一の戦略とします。そのうえ、矢攻め火攻め り込みなどは、臨機応変と申すもの。・・・・のう、黄門こうもんきみ
と、知盛の方を見て、同意を求めた。
知盛は、わずかに、うなずいた。全幅の同意といった表情ではない。
彼はむしろ、守ることを、主としていた。それは、彦島砦の構築の半永久的であるのを見てもおのずからわかる。
だが、ここで功守を論じても、始まらない。まだ、敵を見ていないのだ。敵を見てのうえでいい。 ── そう思案を決めているらしかった。
それよりも、彼が、磐石ばんじゃく の安心感を持っていたかったのは、みかどの御位置であった。── 合戦にはいったさい、玉座を、どこに安んじておくかである。
また二位ノ尼や、女院や、ほか多くの女房女童めわらべ などは、なるべく、矢かぜの外におきたい。万一といえ、それらの傷々いたいた しい者たちへ、後ろ髪を引かれたくない。それが、肝腎ではないかと思った。
── で、それらの打ち合わせやら、また、女院や尼公あまぎみ の意を伺ったりしているうちに、宵もやや過ぎ、そこへその日、船島へ使いに赴いた佐伯さえきの 景弘かげひろ が、どこか、淋しげな影を姿にもって、返って来た。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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