彦島砦
の中心は、福良ふくら にあった。 知盛は、そこの陣館じんやかた
から附近を、みかどの御所と、兄宗盛の守りにゆずって、自身は、勅旨待てしまち
の柵さく へ移っていた。 また、小瀬戸と対岸伊崎ノ口は、新三位しんざんみの
中将資盛が、柵さく を構えて、守っている。 そのほか、田ノ首、泊とまり
、江ノ浦などの要所要所にも、それぞれな守備と兵船が配されて、彦島全体を、ひとつの城塞じょうさい
としていたのはいうまでもない。 いや、対岸の豊前ぶぜん
柳ノ里にも、長門の赤間ヶ関の陸地にも、支隊は配してあって、このの海峡を大きく抱いていたのである。 この内ぶところへ、もし、盲目的に突入して来る無謀な敵があるばらば、網にかかる魚群でしかるまい。
「手捕りにも出来ようぞ ──」 と、平軍の陣容は、いまやその完備を誇っていた。 当夜。── つまり宗盛の希望によって催された十五日夜の一門の会議では、それらの布陣と、そして、船数や兵力などの、くわしい事情がまず知盛の口から一同へ、ねんごろに説明された。 聞くごとに、総領の宗盛は、 「ほう。・・・・そうか」 と、感動を、あらわに出して、 「さすがは、黄門こうもん
(知盛) どの、行きとどいた配備ではあるよ」 と、ほめ称たた
えたり、 「かかるうえは、この彦島も、孤島ではない。十重とえ
二十重はたえ に守られた不落の砦と申せよう。よも、源氏の水軍として、やすやすと近づき得まい」 などと先走った安心感をもらして、この重要な一門集議の意義を欠き、とかく陥りやすい浮薄な広言と雷同に終わってしまいそうな色めきだった。 ──
というのも、この夜は、一門のほか、各地の与党の大将までが、みな列座していたし、わきの簾中れんちゅう
には女院も二位ノ尼も、蔭ながら、成り行きを見ていたのである。 で、総領宗盛は、何かにつけて、一言さしはさんだ。── 尼あま
ノ公きみ にたいし、諸大将にたいし、事ごとに、自分を示さなければ、気がすまないらしいのだった。 知盛は、彼とは、対蹠的たいしょてき
であった。 どんな話をすすめていても、兄宗盛が何か言い出すと、知盛は黙った。そして兄の言が終わるのをいつまでも待っている。── やっと宗盛がだまると、また、低声に前の話を続けるといった風である。
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