いずれは、やくたいもない使いかと、ものうげにしていた時忠も、やがて、その訪客に接しると、客との間に、時も忘れて、談笑をかもしていた。 思いがけなく、客は、安芸
の佐伯さえきの 景弘かげひろ
だったのだ。彼と時忠とは、故清盛同様、一門中でも、もっとも古い、そして深かった仲でもある。 「お引籠ひきこも
りの見舞いに、今日は家伝の薬餌やくじ
を持参してござれば」 と景弘は、初めから、もう打ちくだけて、彦島より携えて来た酒肴を拡げ、 「せめて、景弘に向かっては、なんなと、鬱気うつき
をおはらしくだされい」 と、彼の境遇もその胸の中も、充分、察しているらしい、なぐさめ顔であった。 「友遠くより来る ── まして心を知る伴と、杯をふくむなどは、なんと、久しぶりなことか。これで、日ごろの鬱気うつき
も、いちどに散じた心地がする」 「いや、めったに真まこと
の御鬱気は解けますまい。── で、さきにも一言触れたように、こよい彦島でする御一門の集議には、ぜひとも、お渡りありますように」 「それや遠慮したい。・・・・せっかく、其許そこもと
がわざわざ、迎に来てくれたこころざしは、ありがたいが」 「なんの、景弘の労などは、どうでもよい。ただ、惜しまれるのは、過ぐる日の厳島いつくしま
参籠さんろう にせよ、大理どののお姿が、いつも座にあらぬ淋しさでおざる。また、今宵の彦島集議も、おそらく、御一門おそろいの、最後の夜かとも思われますので」 「いかにも」 と、時忠は、垢あか
に埋もれた皮膚の下から、艶つや
やかな酒の色をほのかに見せて、 「── きょうは三月十五日よの」 と、ひとりつぶやき、 「其許のいう通り、まさに一門最後の集つど
いになろうも知れぬ。さればなおさら、時忠は、罷まか
らぬ方がよろしかろ。・・・・ただ、知盛卿へは、なんと、おわび申そうか、ことばもない」 と、ややその酔眼を、俯目ふしめ
にした。 さっきから時忠の気色をうかがっては、何度も一つの事を、景弘はすすめていた。そのため、一門の使いとして、迎に来たことも、あきらかにし、 「余人は知らねど、権中納言どの
(知盛) だけは、あなたの人間を、よく知っておいでです。お引籠ひきこも
りの事情も、御総領 (宗盛) と能登どののお計らいによることと、見抜いておられ、奇っ怪な押籠おしこ
め沙汰と、内々、お憤いきどお
りなのでおざる」 と、昨日のいきさつなども話して、さまざまに時忠の心を、やわらげようと試みていたのであった。 が、時忠は、 「もう遅い。──
今は、時忠がそこへ臨んでも何を申すこともない」 と、腹の底から残念そうに、 「このまま、病者扱いを受けて、時忠こそは、平家一の卑怯者ひきょうもの
と、いわれておるほか身の処置もあるまい。生なま
なか、一門の集議へなどは出ぬ方が平家最後のためでもある。── もし時忠が、その場へ臨めば、たちまち、平家の内は二つに割れ、醜い内輪争いの果て、それこそ夜の笑い草だけを、末路に残そう。──
世に笑わるる者は、時忠一名でよい」 と、言った。 何か動かし難いものをその容子に見、景弘もそれ以上はもういうを慎むほかなかった。総領の宗盛や能登守教経などの決戦一途としている烈しい人びととの間には、おりにふれ、かえって血迷いじみた動揺もうかがわれるが、この時忠には、それがない。胸中なんの秘策があるのか、とにかく、なんら迷いの風がない。 |