「いや、過ぎたことを、どう申しても仕方がありませぬ。知盛にも、不覚はある。──
敵の三河どの (範頼) を、筑紫
の対岸へ追い込んだなどは、上手な戦とはいい難い。はははは」 と、自嘲のうちに、面をやわらげて、 「能登どのが申すはもっとも、明夜ただちに、一門同座のうえ、大評議をとへ申そうよ。・・・・したが、一門のたれひとり欠けてもなるまい。お病気いたずき
と伺うが、平大納言どの (時忠) にも、明夜は、たってお出ましを乞うことにする」 「あっ、いや。・・・・それは」 「はて、能登どのが、また何を?」 「大理どのには・・・・」 「大理どにには?」 「おいたずきも、なかなか、かろい御容体ではございませぬ」 「なんの、軍議の座に、寝たままおわせられるも、よろしかろう。──
わが平氏一族にとって、これが最後の集つど
いとなるやもしれぬこと」 「でも」 「なぜに、能登どのは、さは迷惑顔を見するぞ。。歩めぬほどな御病人とあらば、この知盛が、背に負いまいらせておつれせん。およそわが一門にして、知らざるはあるまいが、平大納言こそは、故入道どのの義弟君おととぎみ
、おん国母や、われらにとっては叔父の御方。そのお人をよそにおいて、平家の浮沈を議するわけにはまいらぬ。内大臣おおい
の殿との には、どう思し召されますか」 気の弱い宗盛には、それに抗弁する勇もなかったし、なおのこと、虚言のうえ、虚言を構える智恵も出なかった。 「それや、大理どのにも、おいで給わるにしくはないが・・・・」 と、そどろもどろに、答えてしまった。 知盛は、能登守を相手にせず、 「──
では、明夜こそは、ぜひ平大納言どのにも、御出座を乞おう。お見舞いがてら、知盛自身、お船へ伺うて、お伴ともな
い申してもよいが」 と、宗盛との間だけで、そのことを、取り決めた。 宗盛には、もう、どうにもならない。ただ、うなずくか、教経のことばを待つしか、試案もなかった。 すると、座の一隅いちぐう
から、 「そのお迎えには、わたくしが参りましょう」 と、申し出た者があった。 見ると、それは数日前に、安芸国から一族を引き連れて、この彦島へ馳は
せ参じていた、かの厳島の神官、佐伯さえきの
景弘かげひろ であった。 |