「おう、能登どのなるか」 静かな人の、ひとみを浴びて、 「されば、それがしです」 と、教経は、ひとひざ、前へ出て、 「この彦島へ参ってより、はや幾日かを、むなしく打ち過ごしておるわれらの胸を、御水量いただきたいと存じまする」 「ほ。そてほどに、能登どの始め、侍大将の面々も、退屈してか」 こは、心外な仰せかな。この期
に退屈どころの沙汰かは。── いかにして次の一戦には、源氏を打ち破らんか。積年の辱はじ
を雪そそ がんか。── 臥薪嘗胆がしんしょうたん
の思いのほか、夜の寝心地もありませぬ。・・・・しかるに、黄門ノ卿きみ
には、まだ一度の軍いくさ 評議もし給わず、お胸のほどもわれらにはうかがい知るよしもない。すでに敵は、刻々、間近う迫ると聞こえて来るのに」 「おう、げにもそれは、知盛が怠り、ゆるし給え」 と、知盛は、そう言って後、 「──
したが、軍議を会するには、まず座に臨む者の腹が大事でおざろう。屋島を一日にやぶれ、船路もしどろに、落ちて来られた方々に、その腹じたくが、もう出来ておわすか、どうか」 「・・・・・」 「いうまじと存じたれど、そこまでの御催促なれば、一言申しておこう。──
今となっては、返らぬことなれど、なぜ、それほど決戦をちかわるるなれば、その決戦を屋島でお遂げあらざりしぞ。── 屋島の守りは、ここの守りよりは、はるかな天嶮。加うるに、味方の数といえ、兵船の備えといて、めったに源氏へ譲ゆず
るべきはずもない堅城といってよい」 「・・・・・・」 「何ぞや、それをただ一夜か二日のまに捨て去るとは、余りにも情けないことではないか。・・・・もし、十日ほども、お支えあらば、今日の形は、逆になっていたろうに。・・・・ここに彦島あるといえ、東に屋島あってこその砦とりで
。── こうなっては、あたら彦島も、四面楚歌しめんそか
なる孤塁こるい にすぎぬ。・・・・ああ、無念」
日ごろ、寡黙な彼が、切々と言ったのみか 「── 無念」 の一語とともに、とつぜん、涙をのんでうつ向いたので、面々は、果てなく沈黙してしまった。わけて宗盛は、その面色を土のようにし、自身の胸の整理さえつかないような容子をしめした。 座は白けた。しかし知盛は、すぐ冷静に返ったように見える。おそらく、言うまじとしていた言を、つい言い払って、自身に恥じているのかもしれない。 |