が、その悲しい祈りが余人に分かろうはずがない。 わけて、能登守教経は、非常な不安と不平に駆
られて、 「解げ せぬは、ここの権ごん
ノ中納言ちゅうなごん どのの朝夕よ」 と、一、二の者へ、憤然と、もらしたことすらある。 「黄門こうもん
(中納言の別称) ノ卿きみ
には、われらをここへ迎えてより、とんと口かずもきき給わず、軍いくさ
評議をするでもなく、いかに久しぶり、おん妹君 (女院) や母公にお会いなされたことといえ、余りな怠りぶり。まるで愚に返った御様子ではある
──」 彼のほか、総領の宗盛をめぐる侍大将や公達の間にも、同様な不満がつのりかけていた。 それらの者が、あるおり、宗盛へ、 「いちど、おん兄君より、黄門こうもん
ノ卿きみ を召されて、直々じきじき
、いかなる御兵略をいだかれ給うものか、おただし願いたいものでおざる。しかる後、一門あげて、軍いくさ
評議を遂げ給わずば、どうして、次の合戦に打ち勝てましょうや」 と、つめ寄って言った。 宗盛は、別な舘たち
を、陣屋としていた。めったに知盛がここを訪わないことをも不平としていたさいである。彼は、ただちに知盛の所へ使いをやった。 彼は一門の総領だ。彦島へ来ても、当然、総大将の地位にはあった。もし、弟の知盛に、誤解や、不遜ふそん
な風が見えたら、しかっておかねばならないと考える。 やがて、まもなく、知盛は姿を見せ、彼の前に出て、 「兄君、お召しの由ですが、何事か、にわかな御用でもございましょうか」 と、両手をつかえた。 ゆゆしげな大将装束である。それにまた、風貌ふうぼう
も衆にすぐれてお立派なと、人もよくいう中納言知盛だった。その知盛も、兄の前では、どこまでも弟らしかった。 「や。・・・・さっそくに見えてくれたか、何かと、陣務、日々忙しかろうに」 見えたらと、用意していた言葉も、知盛の容子を見て、急に、言葉を取り代えてしまったらしい。 「つい、ここも訪いまいらせず・・・・」
と、知盛は、兄の気心を知り抜いているように、頭ず
を下げて 「ここの守兵も、都以来の兵だけでなく、筑紫つくし
の諸党、四国、中国の者どもなど、入り交じっておりますので、片時も、眼は離せませぬ。わけて海上の諸船もろふね
は、おのずと、心の散りやすいものゆえ、日々、自身見まわって、それらも励ましておりますために」 と、深くわびた。 「宗盛は、よいきっかけを得たように、 「が、黄門どの」 「は」 「それもしておることだとうが、しかしある人びとの間では、和殿の怠りを、心もとのう思うている向きもある」 「──
と、仰せある御真意は」 「和殿には、まことの戦意がないのではないかと?」 「たれが申しましたか」 「・・・・・・」 宗盛は、黙った。そして、左右にいた侍大将へ眼を向けた。また、教経たちの、烈しい顔つきの公達輩きんだちばら
へ、救いを求めるような眼をさまよわせた。 すると、座のうちで、声があった。 「あいや、そう申したのは、それがしです。かくいう能登にございまする」
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