〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/19 (土) こう もん とも もり (一)

平家は早くから備えもしていたし、近づく最後の日にも、今は、ほぞを固めていた。
いや、平家といっては、言い過ぎになる。平家の内にも、人びとの思いには、なお、まちまちなものが潜んでいた。合言葉のように 「最後の日ぞ」 ととな え合っても、それの解釈とそれに処する考えは、一様ではないのである。
その中で、真の覚悟とは、知盛の腹に、黙って、包まれてあるものと言ってよい。
この彦島を、半歳わたって、不落のとりで と築いて来た権中納言知盛も、今は、彦島を、
「ああ、この死地」
と、ながめずにはいられなかった。
先には、三河守みかわのかみ 範頼のりより の東国勢が、ここを いて、北九州へ押し渡ってしまい、豊前の要所をやく したまま、陣を固めて、動かない。
九州の緒方党おがたとう臼杵党うすきとう 、平家であった菊池党までが、今は源氏に加盟し、万が一の場合は、九州へ退いて許考えていた知盛の二段構えも、後図こうとたの みとすることは出来なくなった。
「すべては、時の運」
このあきらめは口惜しい。
知盛の本意ではなかった。
けれど、こう思うしかない事態は、屋島の ちたことにある。屋島が ── ああもろく、しかも短時日につい え去ろうとは ── 彼には予測のほかだった。
人であるからには、神算鬼謀などということは、出来るはずもない。しかし、なし得る思慮と、めぐらし得る策には、万々、欠けるところはないものとしていた知盛の自負も、屋島陥ちぬと聞こえた日は、眼の前が真っ暗になったかのような思いをさせられたものだった。
「これまでのこと」
彼の覚悟は、その日にすわっていたのである。
── やがて、その屋島から、厳島を経て、ぞろぞろ彦島へ落ちて来た一門同胞をここの浜に迎えても、彼は何一つ、その人びとへ、愚痴は言わなかった。
その日から、島の内のとりでたち を、みかどの行宮あんぐう にあて、
「女院 (建礼門院) は申すまでもなけれど、二位ノ尼公きみ も、ここでは、御所をお一つにお暮らしあるがよろしかろう」 と、すすめ 「── 知盛あるからには、戦のことなど、さらさらお忘れあって、一日の間も、お愉しみ遊ばすように」
と、心からいたわった。
赤間ヶ関の岸とは、小早舟こばや一漕ひとこ ぎである。毎日、近侍の者をいち へやって、珍しい食物、みかどのお歓びになりそうな物、何くれとなく求めさせ、
「今日はこのような物を、いち よりあがな わせました」
などと知盛自身、玉座へ持って出たり、また夜は夜で、わずかな陣務のひまにも、ごきげんを伺いに出、女院や老母たちとも一つに、さながら平和な日の団欒まどい そのままを、彼も他愛なく座に交じって、愉しんでいるふうだった。
事実、彼は心ひそかに、 「── せめて幾日でも、おん母子ぼしむつ みを、この世のうちに、名残のう尽くしおかれるように」 と、何をおいても、祈っている。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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