〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/18 (金)  びきやく (二)

平家内部の血気な公達や侍大将たちの主戦派を 「── 児戯じぎ の勇」 と ている時忠にも、むかしは、彼自身、覇気はき にみちていた時代もある。
六波羅、西八条の世盛りのころ、
“平家に非ずんば人に非ず ──”
などと放言したものは、たれでもない、平関白へいかんぱく 時忠ときただ なり、という評判さえあったほどである。
ほんとは、彼の放言ではなく、平家の反感をあお ろうとする者の捏造ねつぞう らしいが、それにせよ当時、時忠を呼ぶに、“平関白へいかんぱく” という異名があったことは確かだった。
それほどな時忠が、今日の彼のように変わろうとは、子の時実さえ、意外であったことだろう。
去った遠い日を、かえりみてみると、
時忠の考えは、そもそも、清盛が死んだ頃から、どことなく、違って来ていた。
清盛の大きな死に会って、彼のみが、そのころから、ほんとに平家の行く末を、案じていたのかもしれない。
清盛の死後、たちどころに起こった木曾勢の入洛やら鎌倉の攻勢などにも、時忠はいつも、政治力によってのみ、解決を計ろうと努めて来た。── そして、そもころから、彼の姿は、まったく一門の蔭にひそみ、平家の表面には、とんと立たなくなっていた。
彼が、表面に出なくなった理由は、彼の意志でも逃避でもない。── かれのそういう方針が、以後の平家一門に、 れられなかったからである。
総領の宗盛始め、公達の多くは、故清盛や時忠などが めて来た貧乏平氏時代の辛酸や、地下ちげ のころの誓いなどは、もうみな忘れていた。いや知らなかったと言ってよい。
なにひとつ、苦労も知らず、栄花の門にはぐく まれてきながら、 「なんの、たかが東国の草賊ばら」 と、思い上がっていた果てが、ついに一門都落ちのやむなきにいたり、一ノ谷、屋島と、みじめな流亡をつづける結果とはなったのだ。
「父には、この日の来ることが、すでに、早くから分かっていたのであろうか」
── 今宵も、時実は、ふと夜半に眼をさますと、とまるところのない妄念もうねん にとらわれて、
「壮年の頃は、人いちばい、勝気な父が、よくもこの忍辱にんにく に耐えているもの」
と、隣のむしろ を、そっと、木枕からうかがってみた。
船底は、二つに、区切られている。
その境に、菅莚すがむしろ が垂れてあった。
時忠の寝すがたは、いつもの夜と変りはない。
薄い夜具よのもの を引きかず き、木枕さえ、あか じみて見える。小さい灯の下に、四、五冊の漢書と、一腰の太刀が置かれてあるだけだった。
これが、かつては、平関白へいかんぱく と言われた父か。
母の そつつぼねも、みかどの乳人めのと として、ほとんど、父の側にはかしず いていられない。
父には、自分のほか、あの二人の子があるのだ。
ひとりは弟の右大弁うだいべん 時宗ときむね だが、時宗は後白河の近臣で、以後の便りも打ち絶えてている。
また、もう一人の妹の夕花は、都落ちの前夜、時宗の手許に預けて来たのである。
泣く泣く生き別れして来たあの夕花も ── さて、どうしているか。
「・・・・ぜひないことを。もう、思うまい」
時実は、眠ろうと努めた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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