都落ち以来、彼女が、身も心も崩して、かくばかり泣いたのも、初めてだし、また宗盛を、実子でないと、口に出したのも、初めてだった。 が、宗盛が実の子でないことは、身内でも、おおむね分かっていたことだった。余りに、兄弟中のたれにも似ていなかったことだけでも
──。 迷信の強い世間だった。取替子
などという例も珍しくはなかった。若い清盛は、嫡子重盛についで、次のも、男なれとひたすら妻へ望んでいた。ところが、産屋さんや
の呱々ここ の声は、女子であった。入れ知恵はたれがしたものか、女子は、よその男子と、取替子とりかえご
されたのである。── 後には自然、その親元は、清水坂の唐笠法橋という者と、身内には、分かっていたし、清盛も知ったが、しかし、言わないことになって来たのである。もちろん、宗盛自身も、知ってはいた。 「・・・ああ、いうまじきことをば、つい」 と、尼は、すぐその後で、いたく悔いたが、もう及ばなかった。 さなきだに白けた座は、あの白けて見えた。 幸い、みかどと女院は、松木の御所にあって、ここには、おいでなかった。尼はまもなく、女房たちを連れて、さきに、院ノ御所へ帰った。もちろん、宗盛は、ひどく打ち沈んでしまったが、人びとになだめられて、ようやく、意気を取り戻し、諸大将とともに、 「これが、さいごの酒盛ぞ」 と、いよいよ、大杯をかたむけた。 そして、満面の鬱気うつき
を追い払うと、 「みなも聞けやい。── 何思い出したか、母の尼御前あまごぜ
は、ふと、ひょんな昔話を始められたが、そもそも、父の太政入道だじょうにゅうどう
どのも、父てて 知らずではなかったか。世上、白河法皇の御子みこ
と沙汰されているが、それも、たしかならず、忠盛どのの御実子かと申せば、その段も、明らかではない。下種げす
のうわさでは、祗園の女御と、さる悪僧の子だなどと申す輩やから
さえあったと聞く。・・・・とすれば、わが家は、父子二代の親知らずよ、この宗盛が、たれを、まことの親としようが、仔細しさい
はあるまい。襁褓むつき の上より、平家の平家の屋根の下に育はぐく
まれ、太政入道どのを、父と呼んだことは確かだ。父の入道どのが、刑部卿忠盛どのを、父と慕うておられたのと、まったく一つじゃ。・・・・そうではあるまいか。人びと」 と、涙を眼にもち、酒気紛々と、わめいた。 「もう、仰っしゃるな」 と、能登守や、ほかの諸将が、腕を扶たす
けて、 「── なんとも、気が散じませぬ。おのおの、琵琶びわ
、笛、笙しょう 、琴などたずさえて、裏の峰へ上りましょう。そして、夜もすがら、名残の酒を酌み、入道どのへ、お別れの管絃を手向けようではありませんか」 と、よろめきつつ、立ち上がった。 経盛や、教盛たちの、老将たちも、不安げに、見守りながら、ついて行った。 磯からそう高くない松山の一端だった。下には潮うしお
が、上には松風が、不断の奏かなで
でを、奏で合っている。 さらに、人びとの管絃が、それに加わった。自然の奏かなで
では、悠久ゆうきゅう の上にあり、人の奏では、痛恨の下にあった。蒼白そうはく
な酔いをたたえていた能登守教経は、 「ああ。どっちにしても、われら公達は、みな不肖な子よ。入道どのへ奉る供養は、ただあすの一死あるのみだ。・・・・む、無念っ」 と、突然、管絃の途中で、抱いていた琵琶を、岩にたたきつけて、粉みじんに、砕いてしまった。 そして彼がサバサバと笑ったのを見ると、宗盛も手にしていた笛を、真下の磯を噛か
んでいる白い波がしらへ向かって投げ捨て、 「よういった、能登どの。この宗盛とて、死ねぬことはない。いざとなれば、討死もせん。母の尼御前あまごぜ
が一言こそ、無念なれ。きっと、あっぱれな戦をしてみせようぞ。せいでか、次の合戦には」 と、雲へ叫んだ。 |