しかし、それらはまだ、景弘の協力の一端に過ぎなかった。水軍全般の船の船体を調べて、修理や手入れを急がせたり、少量を積み入れたり、彼の誠意に満ちた労力と財の寄与は莫大
なものだった。 「この厳島に立ち寄って、われらは誠に救われたようなものだが、しかし、さまでに尽くしてくれては、後々、お身たちが困ろうに」 今も、そのことにふれて、感謝のうちにも、門脇中納言かどわきちゅうなごんが、言うと、 「はははは。お気づかいなされますな」 と、景弘は笑って
── 「あす、御一門の船出を、ここよりお見送り申した後は、われらもまた、陸路を長門へさして、馳は
せ下るつもりでおりまする。── 地御前じごぜん
の館には、女子どものほか、たれも残しおきませぬ」 と、暗に、覚悟をほのめかした。 「えっ、では景弘どのも、長門へ馳は
せつけるお心か」 「申すまでもございませぬ」 「でも、御辺は神職。厳島の御守護だにいたしておれば」 「いやいや、故こ
入道にゅうどう どの
(清盛) の御知遇を蒙こうむ
ってより、三十余年、今が、その御知己にこたえる最後の時にござりましょう。万が一にも、平家亡び去らば、ここの神職もそれがしの任ではありませぬ。まして、おいとけなき主上、女院、尼公までも向かわせらるるお行くてを見、なんで、景弘ばかりが、この地にとどまっておられましょう」 「おう、それまでの、お覚悟なりしか」 「さあ、今宵は、歓かん
をつくしましょう。かつての日、太政入道清盛公が、ここへ詣もう
でありし夜も、華やかがお好きなれば、海も山も堂塔も、万燈に彩いどろ
らせ、八乙女やおとめ の舞や管絃に興きょう
じ明かされたものでおざる。いで、いで、故入道どのを偲しの
びまいらせつつ、おん名残を尽されい」 そう言って、景弘は、 「景信、いずれへも、お杯を、おすすめ申しあげい」 と、子息へ言った。 「はっ」 と、景信はまず、総領の内大臣おおい
の殿との の前へすすんで、瓶子へいし
を取り上げる。 つづいて、厳島の内侍十数人が、これも、こよいの黛まゆ
や簪かざし を、さいごの物のように盛装して現れ、花輪のように座に侍はべ
った。 あすはまた、波の上よ。 そして、ふたたび厳島を見る日も、ありや、なしや。 杯はめぐり、歓語はわいても、さすが、どこやら、あわれは深い。
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