〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/14 (月) ふう ぜん せん どう (三)

しかし、それらはまだ、景弘の協力の一端に過ぎなかった。水軍全般の船の船体を調べて、修理や手入れを急がせたり、少量を積み入れたり、彼の誠意に満ちた労力と財の寄与は莫大ばくだい なものだった。
「この厳島に立ち寄って、われらは誠に救われたようなものだが、しかし、さまでに尽くしてくれては、後々、お身たちが困ろうに」
今も、そのことにふれて、感謝のうちにも、門脇中納言かどわきちゅうなごんが、言うと、
「はははは。お気づかいなされますな」
と、景弘は笑って ──
「あす、御一門の船出を、ここよりお見送り申した後は、われらもまた、陸路を長門へさして、 せ下るつもりでおりまする。── 地御前じごぜん の館には、女子どものほか、たれも残しおきませぬ」
と、暗に、覚悟をほのめかした。
「えっ、では景弘どのも、長門へ せつけるお心か」
「申すまでもございませぬ」
「でも、御辺は神職。厳島の御守護だにいたしておれば」
「いやいや、 入道にゅうどう どの (清盛) の御知遇をこうむ ってより、三十余年、今が、その御知己にこたえる最後の時にござりましょう。万が一にも、平家亡び去らば、ここの神職もそれがしの任ではありませぬ。まして、おいとけなき主上、女院、尼公までも向かわせらるるお行くてを見、なんで、景弘ばかりが、この地にとどまっておられましょう」
「おう、それまでの、お覚悟なりしか」
「さあ、今宵は、かん をつくしましょう。かつての日、太政入道清盛公が、ここへもう でありし夜も、華やかがお好きなれば、海も山も堂塔も、万燈にいどろ らせ、八乙女やおとめ の舞や管絃にきょう じ明かされたものでおざる。いで、いで、故入道どのをしの びまいらせつつ、おん名残を尽されい」
そう言って、景弘は、
「景信、いずれへも、お杯を、おすすめ申しあげい」
と、子息へ言った。
「はっ」
と、景信はまず、総領の内大臣おおい殿との の前へすすんで、瓶子へいし を取り上げる。
つづいて、厳島の内侍十数人が、これも、こよいのまゆかざし を、さいごの物のように盛装して現れ、花輪のように座にはべ った。
あすはまた、波の上よ。
そして、ふたたび厳島を見る日も、ありや、なしや。
杯はめぐり、歓語はわいても、さすが、どこやら、あわれは深い。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next