〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/14 (月) ふう ぜん せん どう (一)

一門の参籠さんろう は三日三夜つづいた。
平家の氏神、ここの伊都岐いつき しま 神社も、平安貴族のしきたりと同じように、神仏混合であった。
仏と神を、胴体と見、神も仏の供養をよろこび、美や音楽を好むとして、戦前に読経や香華こうげ もささげられていたのである。
だから、厳島曼陀羅いつくしままんだら ともいえるそこの建築群を遠くから望むと、本宮もとみや伊都岐いつき の社殿、拝殿、廻廊かいろう 、舞楽殿などを中心に、伊勢や鹿島の神宮寺と称するのがあり、山王さんのうやしろ朝座あさざ夏堂げどう 、多宝塔、山臥やまぶしとこ 、鐘楼、御読経所みどきょうしょ などが、水へのぞみ、山へ って、仏閣と神社の区別は全くない。
いや、神と仏を、区別しないだけでなく、人間と神仏も、同じものと考えられていた。平家は、伊都岐いつき しま の神の位をすすめて正一位となし、善美をちりばめた一門署名の経巻を納め、百八の燈籠とうろう をともして、千僧供養を行ったり、八乙女やおとめ の舞を供えたり、人間の喜ぶものは、神も喜び、仏もうけ給い、それが、後生ごしょう のためになると信じた。
まことに、この世こそは、はかなくて、泡沫うたかた のようなものだが、来世らいせ には、仏果に会い、神助を得て、苦患くげん なき人生の下の生まれたいものと、みな真剣に祈りあった。財宝をささげ、必死のぎょう をつみ、祈祷三昧きとうざんまい をこらしたのである。
これを。
かの念仏宗の、吉水の法然上人ほうねんしょうにん が、庶民とともに、貧しいむしろ を分けあって、 「── ともかく、生まれて来た命。くだらぬ取り越し苦労はやめようよ。たの しんで生きようよ。愉しまないで、何の人生、愉しむ為に働いて、助け合って、仲よく暮そう。そのほかは、仏へ、あなた任せとして」 と、しきりに都の辻で説いているあの声と比べると、なんという相違であろう。
いつか、ここにも、自然、世紀の分水嶺ぶんすいれい は、はっきり、見えていたのであるが ── それは昨日の夢をまだ見つつある人びとには分からなかった。
宗盛や二位ノ局以下の人びとは、三日にわたる夜籠よごも りやら、おはら いやら、護摩ごま の修法などに、
「われらの願いを、仏もうけ給い、神も観応かんのう ましまさん」
と、信仰的な感傷に、深くひた って、
「かならず、最後の勝ちは、平家にあろう、勝たでやあるべき」
と、言い合った。
祈祷きとう功徳くどく というものであろう。人びとの意気はあらた まった。きっと、勝てる気がして来た。能登守教経などが、特に、鼓舞しているばかりでなく、島中の供僧ぐそう棚守たなもり (神官) たちも、しきりと、人びとの喜びそうな奇瑞きずい や奇蹟をここへ告げていた。
ある一人の供僧ぐそう は、
「昨夜、御一門参籠さんろう のみぎり、どこやら、天楽てんがく が聞こえました。ほかの海面うなづら は真っ暗なのに、大鳥居の下の小波さざなみ だけが、まろく、朧夜おぼろよ のごとく、明るく見え、虚空こくう妙音天みょうおんてん御使みつか いらしき白狐びゃっこ の影がたしかに見え申した」
と、言って来た。また、ほかの棚守たなもり の一名は、
「明け方、弥山みせん の上に御一門の旗にも似た紅雲が無数になびき、同時に、金鼓きんこ のとろどきを、はっきり、この耳で聞き申しておざる」
と、告げたりした。
そのほか、何堂では、えならぬ香気がただよい、散蓮華さんれんげ の光を見たとか、また、吉兆の鳥が、高き塔の天っぺんにとまったまま、いつまでも、動かずにいたとか、いろいろであった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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