「ああ、きれい、天の星よりきれいな灯」 小舟の上でも、みかどは、ちっともじっとしっていらっしゃらない。 「一
イ、二ふ ウ、三み
イ、四よ ウ」 みよしに立って、宵となった厳島の殿廊や楼台にちりばめられた無数の灯を数えながら、 「乳人めのと
、あの灯の数は、幾つあるか当ててごらん。千あるか、万あるか」 と、帥そつ
ノ局つぼね を振り向いて仰っしゃったりした。 静かなうねりが、小舟をすこし揺り上げた。すぐ、みかどは、よろめきかける。あわてて、局は、みかどをお抱きして来て、もとの座へお据えした。 「御子みこ
」 女院は、その袿衣うちぎ
の袖で、みかどのお体を、深くかい寄せた。 「もし、お落ちあそばすといけませんから、ここに、こうして、おとなにしていらっしゃいませ」 「うん・・・・」
と、みかどは、いつになく素直にうなずいて 「おん母、この舟は、どこへ帰るの」 「さきほどの、松木の御所のお庭先へ」 「まろは、いつまでも、こうしていたい。おん母と、乳人めのと
と、三人きりで」 「おう、御子みこ
も、そう思し召すか」 女院は、頬ずりして、 「ほんに、そうして世を送れるものなら、この母と乳人の二人が、磯いそ
に漁すなど り、山に薪木たきぎ
を拾っても、なんぼう倖せな暮らしであろうものを」 と、沁々しみじみ
言った。そしてふと、 「おお、御子みこ
よ、小舟はちょうど、かなたの宝殿ほうでん
から真ん前の海の来ています。ここから厳島の神に、三人して、お願い申し上げましょう。たとえ、どんな伏屋の貧しい暮らしでもよいゆえ、血なまぐさい修羅しゅら
の世は、一日も早く、この地上からなくし給えと」 女院と局が、掌を合わせて、容かたち
をしてみせると、さきの一門列座の祈願の時は、なんといっても、なさらなかったのに、すぐ小さい掌を合わせて、おん母のするとおり黙拝していた。 ところが、櫓ろ
をあやつっていた半首はつぶり
の下臈げろう は、さっきから女院とみかどの小声なおはなしを、聞かぬ振りして、聞き耳をたてていたのだが、ふと、みかどが小さい御手を合わしたお姿に恍惚こうこつ
と見とれてしまい、そのため、われを忘れて、 「── あっ」 と、櫓ろ
ベソを漕こ ぎ外はず
した。当然、遥拝していた人の無我を、驚かせた。 「や、や。粗相いたしました。おゆるしを。どうか平におゆるしを」 半首はつぶり
の男は、あわてて下へ片ひざを落とした。そして、謝りぬいた。 帥そつ
ノ局つぼね は、さすが、時忠の妻ほどなものあはある。細かな眼を、きっと、そそいで、 「何してぞ、そこな下臈げろう
は」 と、叱るように言った。 「はっ。つい、櫓ろ
を外しましたようで」 「はて、おろかないい抜けを。── 日ごろ、小舟をあやつり馴れた者が、なんで、めったに手馴れた櫓を外そうぞ。・・・・先ほどから見ておるに、そちは、舟を遣や
るさえ上わの空で、何やら、こなたのお話へのみ、聞き耳ててておる様子」 「め、めっそうもないことを」 「いいえ。油断ゆだん
のならぬ男よと、先ほどから見ていたのじゃ。物腰とて、ただ者とは思われぬ。景弘かげひろ
どのの雑兵とは、偽いつわ りであろうがの」 「はっ」 「そも何ものぞ、そちは」 「・・・・・・」 こう、たたみかけられ、半首はつぶり
の男は、ついに艫板ともいた の上に、平伏してしまった。 そして、
帥そつ ノ 局つぼね
からとがめられたことを、むしろよい機しお
とするかのように、一そう、その姿に、つつしみを見せて、 「下臈の身にて、貴尊へ近づき参らせたるうえ、素姓をも偽いつわ
り奉り、重々の罪、お詫び仕りまする。── さは申せ、害意を抱く者ではございませぬ。じつ申しあぐれば、それがしは、お味方の侍大将に一人、阿波民部重能の弟、桜間ノ介能遠でござりまする」 と、名乗った。 しばし、舟は潮のままに、まかされてい、もう海面うなづら
もほの暗かった。その宵明りの中に、大鳥居の四脚よつあし
が近々とあった。 |