景弘、景信の父子は、 「われらが、これにおりますからには」 と、しいて広言を払って見せ、 「みかどの御参籠
には、伊都岐神いつきのかみ のおん守りもありましょうず。かつまた、諸方に兵を配して、ここを固めておりますゆえ、お案じなく、ゆるゆる御祈願をお籠こ
め遊ばされよ」 と、繰り返し繰り返し、人びとを力づけていた。 やがて浜には松明たいまつ
が刻々にその火の数を増していた。船から降りるべき人びとは女房たちにいたるまで、残らず、白砂の浜に降りきったものとみえる。 ぼうと一条ひとすじ
の光芒こうぼう に似る松明の列が、ほどなく、御手洗川みたらいがわ
と磯の間を縫って流れて行く。 その朧おぼろ
な光芒の列の中に、あやしいばかり燦きら
めく幾つかの輿こし が見える。みかど、女院、二位ノ尼などが召されて行くのではあるまいか。 みかどは、先ごろ、おいたずきであった。 幼い者の熱は急激だが癒なお
りも早いとよく言われるように、みかども急速にお元気におなりであった。── しかし、── かん母建礼門院の御心配がまったくなくなったわけではない。 二位ノ尼も、老齢だし、大勢の女房たちも、屋島以来の船中の暮らしには、ほとほと疲れ果てていたことだろう。やっと今、ここで地上を踏むことが出来たのである。 どんなに、久しぶりの土が、足に恋しく、なつかしく、踏まれたことか。 なおまた、参籠さんろう
には、身浄みぎよ めもいるし、女性にょしょう
たちには、それぞれな支度もあろう。すぐには、社殿へ罷まか
るわけにもゆかない。 みかど以下、女房たちは、やがて、 “松木の御所” とよぶ一院へ入った。 そこは、かつて、後白河法皇と建春門院が御幸のみぎり、お泊りになった跡である。 みかどは、そこで、おん輿こし
から抱き降ろされ給うやいな、もう、たれの言うこともおききにならず、たちまち、ありのままな童子振りをお見せになり、そこら中の廻廊かいろう
を駈けに駈けて、ひとりでキャッキャッとおよろこびだった。 「・・・・・・」 典侍たちは、みかどの御気色みけしき
の麗うるわ しさよ、前にもましてお元気なと、そのお姿に、ほほ笑みあったが、おん母のみは、人知れぬ涙をそっとぬぐわれた。 童心の興味をそそるそれほどな何がここにあるわけでもない。 ただ、窮屈なお船の内に比べれば、ここははるかに広かった。ただ広かっただけである。
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