〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/12 (土) おお とり (四)

── そういう情勢の中。
そうした佐伯ノ庄へ。
桜間ノ介は、今から数日ほど前に、どこで小舟を乗り捨てたか、飄然ひょうぜん と、ただ一人で、現れたものだった。
思うに、彼は、おい田口たぐち 教能のりよし とともに、一たんは丸亀から長門へ向かったのであろうが、途中、何か考えを変えて、教能の同勢と別れ、ひとりで安芸へ渡って来たものに違いない。
もとより、身なりも島武士かなんぞのような、粗野な風をしていた。
そして、数日は、五日市から近郷をうろうろ歩いて、それとなくちまたの声や動きを探り、やがて今日初めて、地御前じごぜん の館に、景弘を訪れていたのである。
それにしても、偶然か、知っていたのか、彼が、ここを訪うた日は、ちょうど、一門の厳島もう でと同じ日であった。
── すでに、その風報は、諸方からしきりに地御前へ聞こえていたので、景弘父子は、さっそく、厳島へも人をやって、万端の支度を命じ、また、万一のへん に備えては、陸路の要所や島々に、兵を配備しておくなど、用意おさおさ怠りなかった。
そして、さっきから浜へ立ち出ていた景弘は、しきりに、眉へ手をかざしていたが、
「まだ、お見えないが、 ざしも斜め、やがてほどないことであろう。那沙美なさみ の瀬戸まで、お出迎えに出ていようか」
と、景信をうながした。
一艘のうるわ しい楼船ろうせん と、幾艘もの兵船に乗りわかれて、佐伯父子と、兵の一群が、そこの浜から、漕ぎ出して行った。
すすとかなたから来た一艘の速舟はや と行き会った。舟上の武者は、
「それなるは、佐伯どのの御船なりや」
と、帆を、絞り下ろしながら近づいて来、景弘のいることを、確かめると、
「── これは、内大臣おおい殿との の御状にて候う。火急のおつたえなれば、それにて、御披見ごひけん なされ候え」
と、書状を、旗竿の先に結いつけて、速舟の上から、楼船のおばしま へ差し上げた。
宗盛が、倉橋島を離れる前に、先へ立たせた使いであった。
が、書状の内容は、とうにここへ分かっていた。それくらいな早耳を持たないでは、四隣、源氏方となった今、厳島を、守ってゆけるはずもない。景弘は、宗盛の書を、拝したが、しかし形式的にそうしたまでで、
「御苦労でおざった」
と、下の速舟をのぞいて、労をねぎらい、
「かくの通り、われら打ちそろうて、お出迎えに出たところでおざる。あとは、おん船影を待つばかり」
と、言った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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