〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/11 (金) おお とり (二)

その後であった。── 桜間ノ介は、
「すでに、お聞き及びかも知れぬが、じつは、それがし事、屋島の御陣において、内大臣おおい殿との (宗盛) より御勘気をうけました。そにうえにまた、おい田口教能甥たぐちのりよし が、伊予引き揚げの途中、勝手に軍を解いて、離散するなど、重々の不首尾にて、彦島にある権中納言どの (知盛) へも、兄の阿波民部へも、会わせる顔がございませぬ・・・・」
と、まこと しやかに、景信へ語り出した。
── 言うところは、つまり、郷土の桜間城で不覚を取って以来、味方の笑い者となり、このままでは、彦島へも不面目で行けないゆえ、しばらく佐伯家の下にいて、何か功名をたてた後、しかるべき時に、佐伯どののお取り成しで、勘気のお詫びをしてもらいた ── ということである。
「それは、それは」
景信は、すっかり信じて、
「特により、不覚を取るも、ぜひのなこと。しかし、そのお心がけなれば、いつか、御勘気は必ず解けましょう。── 父景弘も、やがて彦島へさん ずる所存ゆえ、そのとき、御功名あって、さきの汚名をおすす ぎあれば」
と、心からなぐさめた。
そこでその日から、桜間ノ介は、一雑兵となって、景弘の下に働くことになった。
もとより桜間ノ介には、べつに、ある目的が腹にあってのことだったのは、言うまでもない。
けれど、、そうして、粗末な小具足を け、顔には猿面さるめん のような半首はんつぶり (鉄製の頬当ほおあて )かぶ って、雑兵の中に立ち交じってしまうと、たれの眼にも、そんな異端を抱く者とは見えなかった。
おそらく、彼をよく知る者でも、その猿面頬さるめんぼお らなければ、彼と気のつく者はないであろう。
彼が、雑兵組を望んだのも、もちろん、それを考えにもってのうえだったに相違ないし ── また、数日前から、この佐伯ノ庄へ、飄然ひょうぜん と来ていたのも、あらかじめ、この地方の動きと自分の目標に、何かの意図を見出していたのではあるまいか。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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