〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/10 (木) おお とり (一)

速船はやぶね だの早馬はやうま だの、地御前じごぜん の社頭へは、その日、方々から陸路くがじ 海路うなじ の早耳がはいってくる模様だった。
ここは、安芸国あきのくに 佐伯さえきしょう の海浜で、厳島いつくしま翠黛すいたい や白砂の浜に近々とむか いあってい、そこの有ノ浦とは、海上わすか数十町しか隔てていない。
あけ の色あざらかな七丈七尺の投影を潮に落としている大鳥居は、ちょうど、海面の中間にあった。ここからいえば、大鳥居は海の参詣路さんけいじ になっている。
── で、厳島は内宮ないぐう 、ここの地御前は外宮げぐう といわれている。そして、清盛が大造営を起こした当時からの厳島の神主、安芸守あきのかみ 佐伯さえき 景弘かげひろ の館も、ここにあった。
そこの客人殿まろうど の廊を、いま、奥へ通って行った嫡男の景信は、
「父上」
と、廊の外に、かしこまって、
「おさしつかえございますまいか、ただ今、警固屋けいごや よりまた、二度目の早打ちでございますが」
と、内へ入った。
の内には、客の姿が透いて見え、父の景弘と、だいぶ密談のように思われたかたちである。
「かまわぬ。── 警固屋けいごや の使いが、なんというて来たか」
「では、これにて申しあげまする。── 先には、御一門の船影が、すべて、倉橋島の本浦ほんうら にあるとの早打ちでしたが、まもなく、それらのお船は残らず本浦を出て、大黒神島の南から、北へ進み、この佐伯ノ庄へ、向うているとの らせにございまする」
「そうか。やはりそうであったな」
「父上の御推察にたがわず、このさい、御一門そろうて厳島へとの、御立願ごりゅうがん でがなございましょう」
「それに違いはない。いつお迎え申すもよいように、何かの手配はよいであろうな」
「仰せ付けのことどもは、万端、抜かりなくさせておりまする。内宮へも、すぐ使いをやり、御船入りを、待つばかりに」
そう言って、すぐ立ちかけると、景弘は、
「待て、待て・。よいところじゃ、客人まろうど へごあいさつ申しておくがよい」
と、 の内へ、招き入れ、
桜間さくらますけ どの。── 子息景信でおざる」
と、ひきあわせた。
客は、桜間さくらますけ 能遠よしとう だったのである。
その客との挨拶を見すましてから。景弘は、子息の景信へ、
「じつは、そちだけに、打ち明けておくことだが」
と、特に断って、こう話した。
「ちと、仔細のあって、能遠どのは、今よりわれらの下につき、ただの雑兵として、しばらく身をひそ めておられよう。・・・・幸い、佐伯さえき の内では、能遠どのを、阿波あわ の桜間ノ介どのと知る者はないが、そち一人だけは、知っていてもらいたいのじゃ」
「心得まいた」
景信は一応、神妙には言ったが、しかし、心から釈然とはしきれない容子ようす で、もいちど、客の姿を、それとなく見直すのであった。
「仰せなれば、異存はございませぬ。したが、いかなるわけで、他家の雑兵になど、身をお潜めなさらねばならぬのか。その辺も、おさしつかえなくば承っておきたいと存じますが」
「そうか。・・・・いや桜間の介どの、そこの仔細は、ひとつ御辺から景信へよう話してつかわされたい。その間に、景弘の身にも、今日はちと、何かと急がるる用事もあれば」
と、彼は二人をそこに残して、気忙きぜわ しげに、奥へかくれた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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