速船
だの早馬はやうま だの、地御前じごぜん
の社頭へは、その日、方々から陸路くがじ
海路うなじ の早耳がはいってくる模様だった。 ここは、安芸国あきのくに
佐伯さえき ノ庄しょう
の海浜で、厳島いつくしま の翠黛すいたい
や白砂の浜に近々と対むか いあってい、そこの有ノ浦とは、海上わすか数十町しか隔てていない。 朱あけ
の色あざらかな七丈七尺の投影を潮に落としている大鳥居は、ちょうど、海面の中間にあった。ここからいえば、大鳥居は海の参詣路さんけいじ
になっている。 ── で、厳島は内宮ないぐう
、ここの地御前は外宮げぐう といわれている。そして、清盛が大造営を起こした当時からの厳島の神主、安芸守あきのかみ
佐伯さえき 景弘かげひろ
の館も、ここにあった。 そこの客人殿まろうど
の廊を、いま、奥へ通って行った嫡男の景信は、 「父上」 と、廊の外に、かしこまって、 「おさしつかえございますまいか、ただ今、警固屋けいごや
よりまた、二度目の早打ちでございますが」 と、内へ入った。 簾す
の内には、客の姿が透いて見え、父の景弘と、だいぶ密談のように思われたかたちである。 「かまわぬ。── 警固屋けいごや
の使いが、なんというて来たか」 「では、これにて申しあげまする。── 先には、御一門の船影が、すべて、倉橋島の本浦ほんうら
にあるとの早打ちでしたが、まもなく、それらのお船は残らず本浦を出て、大黒神島の南から、北へ進み、この佐伯ノ庄へ、向うているとの報し
らせにございまする」 「そうか。やはりそうであったな」 「父上の御推察にたがわず、このさい、御一門そろうて厳島へとの、御立願ごりゅうがん
でがなございましょう」 「それに違いはない。いつお迎え申すもよいように、何かの手配はよいであろうな」 「仰せ付けのことどもは、万端、抜かりなくさせておりまする。内宮へも、すぐ使いをやり、御船入りを、待つばかりに」 そう言って、すぐ立ちかけると、景弘は、 「待て、待て・。よいところじゃ、客人まろうど
へごあいさつ申しておくがよい」 と、簾す
の内へ、招き入れ、 「桜間さくらま
ノ介すけ どの。── 子息景信でおざる」 と、ひきあわせた。 客は、桜間さくらま
ノ介すけ 能遠よしとう
だったのである。 その客との挨拶を見すましてから。景弘は、子息の景信へ、 「じつは、そちだけに、打ち明けておくことだが」 と、特に断って、こう話した。 「ちと、仔細のあって、能遠どのは、今よりわれらの下につき、ただの雑兵として、しばらく身を潜ひそ
めておられよう。・・・・幸い、佐伯さえき
の内では、能遠どのを、阿波あわ
の桜間ノ介どのと知る者はないが、そち一人だけは、知っていてもらいたいのじゃ」 「心得まいた」 景信は一応、神妙には言ったが、しかし、心から釈然とはしきれない容子ようす
で、もいちど、客の姿を、それとなく見直すのであった。 「仰せなれば、異存はございませぬ。したが、いかなるわけで、他家の雑兵になど、身をお潜めなさらねばならぬのか。その辺も、おさしつかえなくば承っておきたいと存じますが」 「そうか。・・・・いや桜間の介どの、そこの仔細は、ひとつ御辺から景信へよう話してつかわされたい。その間に、景弘の身にも、今日はちと、何かと急がるる用事もあれば」 と、彼は二人をそこに残して、気忙きぜわ
しげに、奥へかくれた。 |