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と、後ろへ寄り添って来た修理大夫経盛が、 「能登どの」 と、彼の耳もとへ、 「今日の座
にも、大理だいり どの (平大納言時忠)
のお姿が見えなんだの。屋島このかたのことだ。いかがなされたものであろ。・・・・御子息、讃岐中将 (時実) どのも同様に」 と、あたりへ聞こえぬように訊たず
ねた。 教経は、ちょっと、眉色まゆいろ
をためらわせた。── が、さりげない微笑のもとに、 「いや、お案じなされますな。ご無事でおられますゆえ」 「それや、御無事でおられようがの・・・・」 と、半ば口真似くちまね
口調で、経盛は言った。その白い眉が笑うように微風にそよいだ。 「屋島以来、ご病気と聞こえ、一船いっせん
のうちに引籠ひきこも ったまま、とんとこのところお顔も見せられぬ。それゆえ、いちど見舞うて進ぜたいのじゃが」 「・・・・・」 「幸い、能登どのの小舟にて、大理どのの船際ふなぎわ
まで、わしを送って給わらぬか」 「おやすいことです」 そうは言っても、教経は、気のすすまない容子であった。 が、経盛は 「── たのむ」
と、ばかり先へ小舟へ乗っていた。現存している清盛の実弟では、門脇殿より上の人であり、いわば一門の長老である。教経では、どうしようもない。 「あの大理どののことだ。御病気召されても、気鬱きうつ
などであるはずはない。腹でもおこわし召されたかな?」 「さ、この船路、この戦の中、親しく伺っても見ませんが、武者どもをして、御不自由ないようには申し付けておきました」 「するとお手勢の船だの」 「さればで」 まもなく一艘の大型な武者船の腹へ、その小舟は横着けにされた。 「やれ、かたじけない」 礼を言って、経盛は、それへ移った。 彼の後ろ姿を、そこの船上へ見送ってから、教経は、自身の部下らしい舷ふなべり
の武者と、なお何事かささやいていたが、 「くれぐれ、油断すな。わけてまた、厳島へ近づくことでもあれば」 と、言い残して、漕こ
ぎ去った。 ほどなく、教経の井楼船せいろうぶね
から、合図の鼓こ と鉦かね
が鳴り渡ると、ひとしきりは、総船出の支度に、帆ぐるまの叫びだの櫓手ろしゅ
楫取かじとり の声が、潮騒しおさい
とともに揺れあった。 やがて、鯨群のように、残らずの船が、本浦ほんうら
を出はじめてゆく。 教経は、井楼せいろう
に上っていた。 後ろにひろがる視野の一劃いっかく
が、黒っぽい枯木と焼け野原になっていた。彼の眸ひとみ
は、無念そうに、そこの焼けただれた大地の顔を見ていた。 由来、本浦には、平家の船工匠だくみ
や船役人がたくさんいて、つい近年まで、さかんに造船していたのである。それが今は、ことごとく焼き払われて、陸には、犬の子一匹の影も見えない。 中国掃討そうとう
に当っていた東国勢の仕業か、伊予の河野水軍の侵略か、いずれにせよ、これも西国の平家勢力が源氏に侵されつつある残骸ざんがき
にちがいなかった。── 教経は、唇くちびる
を噛んで、 「この恨みは、きっと・・・・」 と、誓っているような双そう
の眼まなこ をしていた。 |