〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/08 (火) へい うじ がみ (一)

その日のひる ごろ。
流離りゅうり の平家は、倉橋島の南端 ── 本浦ほんうら とよぶ一漁村の沖へすべり入っていた。
「はて、なんでまた、このような所へにわかな船かがりを?」
と、まだこれが二位ノ尼の指図と知らぬ人びとは、眉をひそめたことだった。が、ほどなく宗盛の総領船から、例の使番舟で、
兵糧かて 、したためおわんぬれば、ちと、談義申すびょうことの候う。時一つに、寄り合い給え」
という布令状ふれじょう が、各大将へ渡っていた。
で、多くの諸将は、評議へのぞんでから、初めて、わけを知ったのだった。
尼はその席で、人びとへ言った。
「申すまでもなけれど、厳島いつくしま は平家の氏神うじがみ ぞや」
平家の氏神。
その一語は、人びとの胸にあった古い鏡を、突然、ぬぐって見せるように、思い出させた。
きわが良人つま (清盛) におかれても、福原の都づくり、経ヶ島の波防なみよけ (築港) に次いで、その御造営には一代のお力をそそぎ給うた。あの不信心に似た御方も、厳島へは、月詣つきもう ですら遊ばしたほどに。そして今、はからずも」
と、尼はやや声音こわね をうるませて、
「── おいとけなき主上、おん国母を始め、この尼やら一門の男女、有縁うえん の将士、平家につながる者すべて、浮くか沈むかの戦を前に、その厳島の御社みやしろ に近う来ておりますぞや。さるを、この安芸あき の海をよぎりながら、氏神の御社みやしろ を、よそに見過ぎてよいであろうか。いかに、うらぶれたればとて、また、いかに落ち行く心の かれればとて・・・・」
ここまで聞けば、人びとにも、もう、尼の心がどこにあるか、わかっていた。
つまり尼は、今生こんじょう 最後の思い出に ── いや、そうは口には言わないが ── 「この沖をよぎりながら、氏神へもう でぬ法はない。ぜひぜひ、厳島へ詣でばや」 と、切に願いを起こしたものなのである。
── 聞くと、人びともみな、
「平家にして、平家の氏神に、みあか しだに奉らず、一夜の参籠さんろう さえ遂げず、あわてふためいて、安芸の沖を落ちのびたりと言われては、世には笑い草、神にも見捨てられ候わん」
と、口をそろえて、同調した。
だが、分別者の門脇中納言かどわきちゅうなごん (教盛) は、宗盛へ向かって。
「尼公のお胸のほどは、よう分かるが、しかし内大臣おおい殿との のお胸は?」
「もとよりその儀は、 もひそかな宿願ではあれど、今日の身の空、かつは、先も急がるる戦のみち すがら。・・・・ただそれだけがのう」
「その辺は、能登どのの思案にあろう。いかが思われるか、能登どのには」
と、次に教経の姿へ、眼を転じた。
教経はさっきから 「── 困った」 という容子で、軍扇をひざに、うつ向いていた。彼の姿は、爪の先まで 「戦に勝たでは」 という一念に凝り固まってい、 「かかる、みじめな一門の姿を並べて、なんで氏神の前にまか れようか」 と、しているようなくち もとにそれは見える。
けれど、尼公の言は、ここでは千鈞せんきん の重さがある。それも、一期いちご の望みとまで言うのである。教経も無下むげ には拒みえず ──
「・・・・さ。何よりは、敵の動きいかんによることです。かかる間にも、万一のへん あらばと、ひたすら、彦島までの海路が案じられまする。── 教経としては、ただそれの懸念のみにござりまするが」
と、口をにごした。
しかし、経盛や、景経や、僧都そうず 専親せんしん などの意見も、それぞれ、言葉は違っても、尼の望むところと一つだった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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