「真鍋たちか」 と、教経は、その五郎助光と、塩飽太郎を見て。 「お汝
らは定めし、この辺の潮癖しおぐせ
や島々の事情には、明るかろう。しばしここにいて、水路みずさき
を見よ」 「は、心得てござりまする」 「多くに横たわるは、安芸国の陸地か、あるいは、大きな島影かの?」 「倉橋島と思われまする」 「倉橋島とな。では、その北方に、警固屋けごや
と申す地があるな」 「古代の海の関とか、聞いております」 「音戸おんど
の瀬戸せと とよぶ潮うしお
の急なる水み ノ門と
もたしかにその辺りぞ」 「されば、むかし、大相国 (清盛) どのが、巨財と数万の人力を投じられて、舟航のため、切り開かれた舟路の近道にございまする」 「ふと、わしもそれを思い出したのだ」 と、教経は、回顧の情を、眉にたたえて
── 「あれは、治承四年の春、季節もちょうど今ごろであった。時の高倉の上皇きみ
が厳島いつくしま 御幸ごこう
のみぎり、この教経も随身に選ばれ、親しゅう朝夕の波路を供奉ぐぶ
しまいらせたが・・・・。ああ、それも遠い昔のように思いが霞かす
む。かぞうれば、六年前むとせまえ
のことでしかないのに」 すると、井楼せいろう
のすぐ真下の波間から、声があって、 「御使舟みつかいぶね
です。使番の者です」 「尼公あまぎみ
の御意に、お答えを賜りとうござる。小綱をお投げくだされい」 と、口々にたれか呼ばわっている。 のぞき下ろしてみると、みよしに黄旗きばた
を立て、両舷りょうげん に大勢の櫓手ろしゅ
を乗せた細長い俗に百足舟むかでぶね
と呼ぶ使番舟が側へ来ていたのである。 「それっ」 と、すぐ井楼せいろう
の上から、一すじの細綱が、うねりを描いて投げられる。 ── それをつかむやいな、使番舟はさらに、大船の艫とも
スレスレまで漕ぎ寄った。そして綱の端に、革かわ
の文包ふみづつみ を結いつけて、上へ合図をする。上でのぞいていた武者は、すばやくそれを手繰たぐ
り上げて、教経の手もとへ、文包をささげていた。 |